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(8)力持ち 海津のお兼(高島市マキノ町)

日本舞踊の定番に
福善寺に残るお兼の墓。秋には毎年法要が営まれる(高島市マキノ町海津)
 元禄時代に築かれたという波よけの石垣が湖岸に残る高島市マキノ町海津。旧街道には造り酒屋などの古い建物が多い。サクラの季節に近くの海津大崎が観光客で込み合うことを除けば、静かなたたずまいの集落。ここがお兼(お金とも言う)伝説の舞台だ。
 昔、海津にお兼という力持ちの遊女がいた。ある日西国から来た武士が、旅で汚れた馬を湖岸で洗っていたところ、立てかけてあった竹ざおが馬にあたり暴れだした。そこへ出てきたお兼が暴れ馬に立ちはだかり馬の手綱を高げたのままでグイと足を踏みしめて馬を引きとめてしまった。げたが砂に食い込み足首まで埋まったが、周りの人はお兼の力に感心したという。
 鎌倉時代の説話集「古今著聞集」にあるこの話では、お兼は平安時代の人とされるが、その実在を証明するものはない。お兼の墓は海津の福善寺に今もあるが、なぜ、どんな経緯でこの地にあるのかも謎だ。
 海津が一番繁栄したのが江戸時代。敦賀からの「七里半越え」を経て海津に着いた物資が船で大津から京、大阪へ運ばれた。船を出す風を待つ間に相撲大会が開かれ、負けた力士が化粧まわしを置いていったという話も残り、興行が盛んだったことをしのばせる。
 そのにぎわいの中で、海津の「お兼伝説」は、大津に伝わり長唄「近江のお兼」に姿を変えた。江戸で一八一三(文化十)年に初演。滋賀県の地名をふんだんに織り込んでいるのが特徴だ。約二十分の中編で、全国にテレビ放映されるなど今も日本舞踊の定番作品となっている。
 大阪からマキノ町に移り、初めて墓の存在を知った日本舞踊家の近江友節さん(六二)は一九九六年から毎年、墓前で法要を行い、今年も十一月二十三日に予定している。二〇〇一年秋の湖沼会議のさい舞う機会を得て「近江のお兼」を世界に発信した。
 近江さんは、その怪力からお兼を「遊女と言うより、出雲の阿国のような芸人のイメージ」ととらえ、「お兼さんと出会って力をもらった。今後も多くの人に日本舞踊のすばらしさを伝えていきたい」と話している。
【メモ】福善寺はJR湖西線マキノ駅下車、琵琶湖岸へ出て北東へ徒歩約20分。海津浜の石積みは福善寺から歩いてすぐ。海津には重要文化財の木造十一面観音座像のある宗正寺、樹齢300年を超す清水(しょうず)の桜、水上勉の「湖笛」の執筆動機となった武田元明の墓など見どころは多い。問い合わせはマキノ町観光協会TEL0740(28)1188。

【2006年11月14日掲載】

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