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(10)汗出地蔵(京都市中京区)

民の労苦 身代わり
穏やかな表情を浮かべる「汗出地蔵」。安産を願って全国から参拝者が訪れる(京都市中京区・善想寺)
 繁華街・四条大宮のけん騒を背に、北へ三百メートルほど歩くと、民家の中に寺院が立ち並ぶかいわいに行き当たる。その一画に、善想寺もたたずむ。六角通から、通りに面した地蔵堂をのぞくと、高さ三十センチほどの小さな地蔵を拝むことができる。
 木製の地蔵は、右手に錫杖(しゃくじょう)、左手に宝珠を持った半跏(はんか)姿で、伝教大師・最澄の作とも伝わる。「汗出(あせだし)地蔵」や「泥足地蔵」という庶民的な名で、古くから親しまれてきた。
 一八〇八(文化五)年、京都・堺町に住む勘兵衛という男が、難産で苦しむ妻を見かねて善想寺に駆け込み、地蔵にすがった。一昼夜、一心に祈り続けた勘兵衛の元に、安産の知らせが届く。礼を言おうと地蔵を見上げると、勘兵衛の妻に代わって産みの苦しみを味わったように、体全体から玉のような汗をふき出していたという。
 善想寺の青木英展住職(五六)は「地蔵は古くから四つ辻や街道沿いに祭られ、市井の信仰を集めてきた。人に代わって苦しみを担う汗出地蔵は、現世で人を導く地蔵本来の姿を表しているのでしょう」と話す。
 別名の泥足地蔵も、人々の労苦を引き受ける様子が由来だという。
 地蔵は一五八七(天正十五)年に善想寺に移されるまで、大津市坂本で祭られていた。ある年、田植えの時期に日照りが続いたが、作兵衛という男が三日三晩地蔵に祈ると、大雨が降った。村人は喜び、田植えに精を出した。作兵衛は腹痛で植えられなかったが、朝になると、作兵衛の田にも一面に苗が植わっていた。村人が不思議がって地蔵堂に行くと、地蔵の足が泥まみれになっていた。
 汗出地蔵の物語は書籍やインターネットで紹介され、若い夫婦が安産を祈願に寺を訪れる。「元気な赤ちゃんが生まれますように」「妊婦の痛みが和らぐように」…。回願(えがん)用紙に願いを記し、真言を唱える姿が絶えない。
 地蔵講が盛んだった戦前は、先々代の住職が月に一度、汗出地蔵の前で地域の人に経を読み聞かせた。今も買い物袋を提げた主婦や、通りすがりのお年寄りが手を合わせ、花を供える。時代は流れても、素朴な信仰は静かに息づいている。
【メモ】浄土宗の善想寺は京都市中京区六角通大宮西入ル、TEL075(841)1658。阪急大宮駅から徒歩約5分。毎月23日は「地蔵の日」で、回願用紙を読み上げて諸願成就を祈る。墓地の入り口には、鎌倉初期の作とされる石仏が安置されている。

【2006年11月17日掲載】

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