京都新聞TOP > 観光アーカイブ >ふるさと昔語り
インデックス

(11)死者蘇生伝説の一条戻橋(京都市上京区)

不思議な話 数多く
堀川に架かる一条戻橋は、幅約10メートルの近代的な橋だが、不思議な伝説を数多く生んだ(京都市上京区)
 西行き一方通行をひっきりなしに車が通る一条通堀川の戻橋。かつては出征する兵士が無事に帰還できるよう験を担いでここを渡った。婚礼や葬儀の一行はいまも避けて通る。伝えられる不思議な話の数は京でも随一。その名は死者がよみがえった伝説に由来する。
 平安中期の九一八年、文章博士の三善清行(みよしきよゆき)の葬列がこの橋にさしかかった時、修験道の修行から帰京した息子の浄蔵(じょうぞう)が父の棺と出会う。変わり果てた姿に浄蔵は「父の魂を戻してほしい」と一心に読経した。すると清行が息を吹き返し、親子は涙を流して喜んだ。以来、死者が戻る橋として現在の名がついた。
 橋から約二百メートル北の晴明神社とのかかわりも深い。浄蔵の時代から八十年ほど後、陰陽師の安倍晴明は式神を屋敷そばの戻橋の下に潜ませ、予言や占いの際に操ったという。同神社の山口啄也宮司(四六)は「晴明の妻が式神が屋敷内にいるのを嫌がったため、橋の下の石棺に封じたとされる」と説明し、「都の内と外を隔てる地だったから霊的な物語が生まれやすかったのでは」と話す。
 堀川は、かつての内裏の東側外堀の役割を果たし、一条通は平安京の最も北の通りだった。都の鬼門である北東角に当たり、伝説が数多く生まれたとされる。晴明がここに住んだのも鬼門の守護のためだった。
 平安中期の伝承では、源頼光の家来、渡辺綱が戻橋で美女に化けた鬼と出会い、正体を見破って鬼の腕を切り落とした。鬼はその後、腕を取り返しに戻ってきたという。おどろおどろしい事件もあった。一五九一年、千利休がこの地に構えた屋敷で自害すると、その首は戻橋にさらされ、大徳寺にあった利休の木像で、首を踏みつけにしたとされる。
 周辺で生まれ育った山口宮司は「不気味な橋だったから子供にとっては面白い探検場所だったが、大人に『橋で遊んだ』と言うとえらい怒られた」と幼いころを振り返る。現在の橋は一九九五年に架け替えられた。大正時代から出征者を見送ってきた先代の橋は、親柱や木製欄干などを再利用したミニチュア版の「旧一條戻橋」として晴明神社境内に再現されている。
【メモ】一条戻橋は、京都市バスの9、12、67系統で停留所「一条戻り橋」を下車後、南へすぐ。ゆかりの深い晴明神社は、戻橋から堀川通を北へ約200メートル。TEL075(441)6460。境内には旧一條戻橋や千利休屋敷跡を記した石碑がある。

【2006年11月21日掲載】

各ページの記事・写真は転用を禁じます。著作権は京都新聞社に帰属します
ネットワーク上の著作権について 新聞・通信社が発信する情報をご利用の皆様に(日本新聞協会)
電子メディアおよび関連事業における個人情報の取り扱いについて
京都新聞TOPへ