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(12)幽霊子育飴(京都市東山区)

母の愛 味わい深く
幽霊子育飴の伝承が残る「六道の辻」
 一粒、口に放り込む。徐々に溶け出すと、柔らかい甘みが口いっぱいに広がる。甘すぎず、ほのかに懐かしい味。
 六道珍皇寺門前で四百年余り前から売られていた麦芽糖の飴(あめ)「幽霊子育飴」。
 慶長四(一五九九)年、夜な夜な若い女が飴を買いに来た。不審に思った飴屋の主人が後をつけると、鳥辺山の墓地で姿を消した。
 翌日、寺の住職と一緒に墓地に向かうと、盛り土の中から赤子の声がする。掘り返すと、女の遺体の横で赤子が飴をしゃぶっていた。
 赤子は八歳で僧となり母の菩提(ぼだい)を弔い、寛文六(一六六六)年三月十五日、高名な僧として六十八歳で亡くなった。
 飴を販売する「みなとや幽霊子育飴本舗」は、後継者難などから委託販売を続けていたが、昨年末に少し西の西福寺門前に移転した。
 「幽霊」という看板に興味をそそられ買い求める人、おなかの子に与えるためか、探して訪れる身重の女性も。店番に立つ谷本紀代子さん(六四)は修学旅行生らに話を聞かせ、「お母さんを泣かしたらあかんよ」とクギをさす。「子を思う母の愛情の偉大さを物語る話。母が子を殺すような今の時代にこそ、大切にされるべきだ」と強調する。
 平安時代以来の葬送の地、鳥辺山のふもとにあり、現世と冥界との境域とされた「六道の辻」。六道珍皇寺の坂井田良宏住職(六〇)は「寺とは直接関係のない話だが、親子の情愛を表すいい話。日常の法話でもよく取り上げる」と話す。
 同様の話は京都市内でも数カ所にあるという。上京区・立本寺に伝わる話では、赤子は同寺二十世貫首、日審上人(一五九九−一六六六)だという。壺(つぼ)を図案化した花押を用いたことから、「壺日審」と親しまれ、生涯に二万回余りの説法を行ったという。同寺にまつられる上人の木像は安産守護の信仰を集める。
 上田尚正貫首(六五)は「飴は滋養のある食べ物。墓の近くで、飴を与えて子育てした母親がいたのだろう。ある程度、史実に基づいた話では」と推測する。
 死が身近だった殺伐とした時代を思わせるが、心に染み入る。飴に劣らず、味わい深い話だ。
【メモ】みなとや幽霊子育飴本舗(月曜定休)は京都市東山区松原通大和大路東入ル。TEL075(561)0321。向かいの西福寺は嵯峨天皇の檀林皇后ゆかりの子育て地蔵を祭る。立本寺は上京区七本松通仁和寺街道上ル。TEL075(461)6516。

【2006年11月22日掲載】

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