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(19)八百比丘尼の玉岩地蔵(南丹市)

海老坂峠 気に入る
八百比丘尼が地蔵を安置したと伝えられる玉岩地蔵堂(南丹市日吉町四ツ谷)
 南丹市日吉町のJR日吉駅から八キロ。海老谷(えびたん)と呼ばれる集落を抜けて同市美山町との境の海老坂峠へ向かうと、車では通れない山道の途中に、杉木立に囲まれた玉岩地蔵堂が姿を見せる。お堂の中の玉岩地蔵は、不老不死伝説で知られる「八百比丘尼(びくに)」がこの地に安置したと伝えられている。
 比丘尼が生まれたのは六五四年という。若狭の国の、たいそう美しい娘だった。あまりにも美しいので周りの女たちのねたみを買い、十八歳のときに人魚の肉を食べさせられた。すると不思議なことに、十八歳の姿のまま年をとらなくなってしまった。
 娘は百歳になっても二百歳になっても若いままで、気味悪がった村人は近づかなくなってしまった。途方にくれた娘は、髪をそり比丘尼となって、お地蔵さんを背負って諸国行脚の旅に出た。
 その後、全国を巡った比丘尼が、京から故郷の若狭へ戻る途中、海老坂で一眠りしていると、背中に背負ったお地蔵さんが夢に出て「いままで世話になった。私はここが気に入ったから居ることにする」という。すると、お地蔵さんが急に重くなり動かなくなったので海老坂の大岩の上に安置したという。
 その地蔵をまつったお堂が玉岩地蔵堂だ。管理する玉岩地蔵講社の加地清次郎さん(八三)=同町四ツ谷=によると、現在の建物は寛文年間(十七世紀半ば)の建立と伝わるが、伝説によれば創建は天平十八(七四六)年にさかのぼるという。本堂は、地蔵が安置された大岩を包み込むように建てられ、隣には庫裡(こり)と呼ばれる二階建ての宿泊所もある。  玉岩地蔵は、何百年も生きたという比丘尼にあやかって長寿や安産の御利益で深く信仰されており、今も年に一度、秋の彼岸の日の大祭には、比丘尼の故郷の福井県小浜市からの信者も多く訪れてにぎわいを見せる。  加地さんは「昭和の初めまでは、海老坂峠は若狭と京を結ぶ鯖街道のひとつで往来も多かった。普通は海沿いに伝わる比丘尼伝説が丹波の山中に伝わっているのは、行き交う旅人たちが伝えてきたのでしょう」と話す。
【メモ】玉岩地蔵堂はJR山陰本線日吉駅から南丹市営バスで四ツ谷バス停下車、徒歩35分。自動車では京都縦貫道園部ICから30分。地蔵堂の見学、案内は加地さんTEL0771(73)0170。

【2006年12月6日掲載】

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