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(20)小野の随心院(京都市山科区)

「小町」悲恋の舞台
小野小町ゆかりの隨心院。才色兼備の歌人にあやかり多くの女性らが訪れる(京都市山科区)
 小野小町ゆかりの寺院として知られる隨心院。平安時代の才色兼備の女性として、全国各地に二百以上ある小町伝説にあって、もっとも知られる逸話「百夜通(ももよがよ)い」の舞台とされる。小町伝説に詳しい僧侶の亀谷英央さん(四四)は「女性としての誉れと、その後に訪れる不幸…。現代に語り継がれる小町像を象徴する言い伝え」と、悲恋の逸話を解説する。
 寺伝によると、小町は三十数歳で宮仕えを終えて、当時、小野氏の所領とされた山科区小野に移り住んだ。容姿の美しさだけでなく、古今和歌集で六歌仙とたたえられた和歌の名手。小町はこの地で余生を過ごすつもりだったが、深草少将が見初めて恋文を届ける。
 小町はいう。「百日間、私の元へ通ってくれたら、あなたの想いのままになります」。深草少将は伏見区の屋敷から九十九日間通い続けたが、最後の一日に病気を患い、道中で降る雪に埋もれながらこの世を去った。
 小町は少将の訪れた日数をカヤの実で数えていたが、その死を嘆いて、悲恋の貴公子が通った道すがらにカヤを九十九個植えたという。現在、二本のみになったが、隨心院近くの「小町ガヤ」はこの逸話に由来する。
 一方、この逸話は中世以降、栄枯盛衰を示す物語の一幕としても知られるようになる。例えば、能楽の演目「卒塔婆(そとば)小町」では、小町は百夜通いの後、年月とともに財産を失い、容姿も衰えて、晩年に各地をさすらった様子を描く。
 隨心院を開いた仁海僧正が作者ともされる書物「玉造小町壮衰書」に登場する主人公と混同したためともいわれるが、同院には年老いた小町をモデルとした木造像が残されている。
 亀谷さんは実際の小町について、文献を基に老後も豊かな暮らしぶりだったとみる。その上で「小町は容姿や才能、家柄をすべて持ち合わせた理想の女性。その非の打ちどころのなさが妬みの対象ともなり、人生訓さえ含んだ多くの物語を生み出した」と説明する。
 十二月初旬の隨心院。紅葉は散り初めだったが、多くの女性客が訪れ、「きれいになりますように」と絵馬などに願いを託した。「小町のような完ぺきな女性に近づくべく、せめて内面などで自らを磨こうと決意できる場所だと思う」。同院のミス小野小町を務める後藤檀(まゆみ)さん(二五)は女性らの思いをこう代弁する。
【メモ】隨心院は京都市山科区小野御霊町。TEL075(571)0025。地下鉄東西線小野駅から東へ徒歩5分。境内には、寄せられた恋文を下張りに使ったという文張地蔵、小町が化粧の際に水をくんで使ったとされる井戸もある。

【2006年12月7日掲載】

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