京都新聞TOP > 観光アーカイブ >ふるさと昔語り
インデックス

(21)願徳寺の座光堂(向日市)

秘仏の伝承 地名に
サコドと呼ばれる地点から西方を見る。坂道の中腹には、かつて壮大な寺院が広がっていた(向日市寺戸町)
 壮大な伽藍(がらん)を誇った古代寺院の跡地に、往時の面影はない。平安時代前期(九世紀ごろ)の入浴施設「湯屋跡」の発見で注目を集めた宝菩提(ぼだい)院廃寺である。同寺の前身である願徳寺に、いわれは少なくない。その一つに、かつて京都市右京区太秦の広隆寺の秘仏・霊験薬師如来像があったという説話がある。
 一四九九(明応八)年の「広隆寺来由記」は、こう伝える。乙訓地域の古い神様である向日明神が神木を彫って作った薬師如来像は、仁明天皇(八一〇−八五〇)のころ、願徳寺に安置された。神が作った仏像だけに霊験はとても高いとされ、清和天皇(八五〇−八八〇)の病気平癒を祈るため、広隆寺に迎えられることになった。
 清和天皇は薬師如来像のあまりの霊験の高さに感動し、ひそかに同じような像を作って願徳寺に贈る一方、薬師如来像は広隆寺にとどめてしまう。願徳寺の僧は本尊を返してもらおうと朝廷に訴え出るが、認めてもらえない。清和天皇から贈られてきた像はといえば、もとの薬師如来像の置いてあった台座と、光背(こうはい)(仏像の後ろにある光を表す飾り)が、揺れ動くのでどういうわけか安置できない。そこで、堂には台座と光背だけを置き、「座光堂」と呼ぶようになったという。
 その願徳寺は向日市から現在、京都市西京区大原野に移っている。今、いわくつきの台座と光背はないが、向日市埋蔵文化財センター技師の梅本康広さんは「願徳寺は国や貴族が運営にかかわったかもしれない大寺院。神の作った霊験高い薬師像が安置されても不思議でなく、座光堂が実際にあった可能性はある」と語る。
 確かに、一四七九年の勧進状には「座光院」の文字が見られ、向日神社に伝わる江戸時代後期の文書も「願徳寺の前は今も座光堂の地名が残る」と伝えている。
 かつての参道と物集女街道の交差点から東方約百メートルの一帯を、地元の古老たちは今も「サコド」と呼び習わす。由来については諸説あるが、梅本さんは「座光堂がなまって『サコド』になったのでは」と推測する。現代に伝わるサコドの響きに、薬師如来像の返還を切望した願徳寺の悲願が聞こえてこなくもない。
【メモ】願徳寺は7世紀後半の創建で、持統天皇の勅願とされる。鎌倉時代以降は「宝菩提院」の名で知られ、天台密教の道場として発展した。 阪急京都線東向日駅から阪急バスで寺戸バス停下車、近くに遺跡説明板が立つ。 問い合わせは向日市文化資料館TEL075(931)1182。

【2006年12月8日掲載】

各ページの記事・写真は転用を禁じます。著作権は京都新聞社に帰属します
ネットワーク上の著作権について 新聞・通信社が発信する情報をご利用の皆様に(日本新聞協会)
電子メディアおよび関連事業における個人情報の取り扱いについて
京都新聞TOPへ