京都新聞TOP > 観光アーカイブ >ふるさと昔語り
インデックス

(24)佐治の手(大津市)

村人救った侍弔う
左手が浮き彫りされた佐治の墓(大津市仰木6丁目)
 墓石に、人の左手が浮き彫りされている。大津市仰木六丁目にある小高い丘。その中腹に、一基の古びた墓がたたずむ。文字は風化してほとんど読むことはできないが、地元で「佐治の手」と呼ばれている墓石だ。
 風変わりな墓にまつわる伝承の由来は、今から三百年ほど前にさかのぼる。
 当時、仰木の村には四十戸ほどの農家が暮らしていたが、毎年村を襲う盗賊たちに悩まされていた。収穫の時期に現れては農作物や金品を奪う荒くれ者たちに、村人はなすすべもなく身を隠して息を潜めていた。
 そんな時、二人の侍が仰木の村を通りかかった。その一人は、佐治といった。佐治たちは村の困窮を知り、用心棒を買って出た。剣術に優れた二人は盗賊をことごとく打ち負かし、村には平穏が戻った。
 しかし、ある日。盗賊の首領から、無理難題が突きつけられる。佐治の利き手の左手を差し出さなければ、村を焼き払うというのだ。
 村人は困り果てた。村を焼き払われるのはかなわない。しかし、恩人である佐治にこんな話は切り出せない。ところが佐治はこの話を伝え聞き、迷わず自分の左手を切り落とした。佐治は、盗賊の襲来を避けるため村を高台に移すよう言い残して死んでいった。身を賭(と)して仰木の村を守った佐治を村人は手厚く弔ったという。
 地元で史跡の保存に取り組む仰木保勝協会の浅野史郎会長(七五)は「私たちも古老から佐治の手の話を伝え聞いた。この辺りでは知らない人はいないし、みんなこの付近に用がある時は『佐治の手まで行ってくる』などと言います」と語る。仰木の古い集落は、佐治の言い伝えを守るように、琵琶湖を眼下に望む高台に集まっている。
 今では住宅開発が進んだ仰木一帯。佐治の手がある丘から見下ろすと、整然と立ち並ぶ住宅が目に入る。「昔は、この辺りも田んぼと山ばかりでした」と浅野さん。墓は、村人が大切にした田畑を見守るように建てられている。今でも地元の自治連合会では佐治を顕彰し、毎年七月と十二月の年に二回、墓の清掃や草むしりを続けている。
【メモ】JR堅田駅から江若バスで平尾下車、南東に約400メートル。佐治の手に至る丘の入り口には、「佐治の手参道」と刻まれた石碑がある。近くには平安時代中期の武将で清和源氏の基礎を固めた源満仲の屋敷跡「御所の山」がある。

【2007年1月11日掲載】

各ページの記事・写真は転用を禁じます。著作権は京都新聞社に帰属します
ネットワーク上の著作権について 新聞・通信社が発信する情報をご利用の皆様に(日本新聞協会)
電子メディアおよび関連事業における個人情報の取り扱いについて
京都新聞TOPへ