京都新聞TOP > 観光アーカイブ >ふるさと昔語り
インデックス

(26)梅干し半十郎観音(福知山市和久市町)

首から上 病に効果
義賊・半十郎が好きだった梅干しを供えてご利益を願う。線香、ロウソク、休憩するいすなど参拝者に優しい住宅街の祠だ(福知山市和久市町)
 その祠(ほこら)には梅干しが供えてある。
 以前に自分が供えた梅干しを持ち帰る信者もいる。「いただきますとね、首から上の病にご利益がありますのや」。線香の煙がゆるりと上る中、年配の女性が手をあわせた。
 話は百五十年ほど前、安政六(一八五九)年にさかのぼる。
 当時の福知山藩は莫大(ばくだい)な借財を抱えていた。財政再建を命じられた家老・市川儀右衛門は、庶民に厳しい節約を強い、年貢を増徴した。専売制を強め、商品売買では高い手数料を取った。仕切った役所が「諸商業正直取締会所」だ。
 ある晩、ここに賊が入った。当直を切り、金を奪った。
 下手人は、一帯の親分・松本屋銀兵衛の用心棒だった作州津山の浪人・松岡半十郎と仲間一人。半十郎は梅迫(綾部)で捕らえられた。
 半十郎は打ち首になる前、隠し持った金の観音像を飲み、「私の墓に梅干しを供えて参れば、観音様のご利益で、首から上の病気は必ず治る」と言い残した−という。
 憎まれ役人を切ったからか、奪った金を人々に分け与えたからか、義賊・半十郎の伝説は時世に乗って広まった。翌年、江戸期の福知山で最大の一揆「市川騒動」が起き、藩は搾取圧政の手を緩めることになる。
 「処刑場跡に建った祠は、長く民家の庭にありました。一九五〇年代から七〇年代にかけ、少し離れた現在地に移した。敷地の提供者、寄付した市民、多くの人の力で再建したようです」と、現在世話役を務める松本清孝さん(六三)は言う。
 祠には「妙徳伴大明神」と彫ったご神体、かたわらに地蔵像や石碑が寄り添う。九月二十日の大祭には、常照寺住職による加持祈とうがあり、年一度の「半十郎観音大明神」のお札販売もある。
 昨年、上屋を新築した。お札の売り上げや日々のさい銭、そして、信心深い地元の建設業者の厚意で、立派な木造瓦ぶきの上屋が完成した。
 住宅街の祠だが参拝者が絶えない。だれかが供えた花、梅干し。また、六十代の夫婦連れがやって来た。「風邪をひかんように。ぼけ防止も早めに手を打とうと思って」。線香を上げ、地蔵の頭をいとおしげになでた。
【メモ】由良川沿いの肥よくな土地柄、一帯は梅、桑、柿が豊かに実った。一方で、祠は何度も水害で流された。首から上の患いに効くといい、眼や耳鼻咽喉、頭痛、首の不調に加え、ぼけ防止など願いは多彩。JR福知山駅から徒歩約15分。

【2007年1月16日掲載】

各ページの記事・写真は転用を禁じます。著作権は京都新聞社に帰属します
ネットワーク上の著作権について 新聞・通信社が発信する情報をご利用の皆様に(日本新聞協会)
電子メディアおよび関連事業における個人情報の取り扱いについて
京都新聞TOPへ