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(27)めやみ地蔵(京都市東山区)

「雨止」転じ眼病平癒
全国各地から眼病の治癒を願う参拝者が立ち寄る(京都市東山区・仲源寺)
 京都の街で美しい水辺の風景を演出する鴨川も、たびたび洪水で大きな被害を出した過去を持つ。治水対策が十分ではなかった当時、人々は洪水を起こす大雨がやむことを、ひたすら神仏に願った。四条大橋にほど近い仲源寺の地蔵菩薩(ぼさつ)にも、「雨止(あめやみ)信仰」の話が伝わる。
 平安中期、仏師としても名高い僧の定朝が人々の安寧を願って木造の地蔵菩薩を彫った。都の人々の信仰を集めたが、平安末期には度重なる戦で地蔵を収めた堂は荒れ果て、草木が生い茂るまでになっていた。
 鎌倉時代の一二二八(安貞二)年秋、風雨が都を襲い、鴨川がはんらんした。朝廷から「防鴨川使」に選ばれた中原為兼は民衆の救出に向かうが、橋は流され、家屋まで流れてきた。ところが、不思議と人々は四条河原の茂みに流れ着き、命を救われた。茂みの中には、忘れ去られた地蔵の姿があった。
 「君主が徳を失い、人が義を忘れて利に走る時は、天道は怒って災いを下す。早く地蔵尊を念じ、人々を救うべし」。為兼にお告げが下ると、たちまち水は引き、平常の鴨川の姿に戻ったという。地蔵は、為兼の名字に「人」と「水」を付けた仲源寺に安置され、「雨止地蔵」として信仰を再び集めるようになった。
 この雨止地蔵には、後日談がある。地蔵を熱心に信仰していた夫妻がいたが、夫が目の病で失明してしまう。妻は地蔵に恨み言をいうと、その夜、夫の枕元に地蔵が現れ、寺のわき水で目を洗うよう告げた。さっそく、お告げの通りにすると次第に目が見えるようになった。妻がお礼にお参りすると、地蔵の右目が朱色になり、涙がつたっていたという。「雨止」から転じ、眼病に御利益がある「目疾(めやみ)地蔵」とも呼ばれるようになった。
 参拝者がくぐる寺の唐門には「雨奇晴好(うきせいこう)」の額がかかっている。晴天祈願に眼病平癒と、一見まったく異なる御利益を授けてくれる地蔵尊だが、南忠信住職(五八)は「逆境にうちひしがれるのではなく、晴雨とも元気に生き抜こうという前向きな考え方を、今を生きる私たちに教えてくれている」と話す。
【メモ】仲源寺は、京都市東山区四条通大和大路東入ル。TEL075(561)1273。京阪電鉄四条駅から東へ徒歩1分。現在の本尊・木造地蔵菩薩座像は室町時代の作とされ、境内には重要文化財の木造千住観世音菩薩座像も安置されている。毎月23日には月例法要が営まれ、眼病予防や平癒の祈願が行われる。2月2、3日の節分会では、厄よけや開運の起き上がりだるまが授与される。

【2007年1月17日掲載】

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