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(28)木列(狐)坂(京都市左京区)

看病の娘を道案内
高架橋の整備で、ゆっくりと歩けるようになった狐坂。昔語りの面影は薄い(京都市左京区)
 五山の送り火の一つ「妙」の山すそを横切る「狐(きつね)坂」。自動車専用の高架橋が昨年四月に開通し、京都市北部と中心部の交通はより便利になった。見通しのよい高架橋の下には、大きく曲がった急な坂道が歩行者・自転車専用道路として走る。整備された道路には、険しい峠道のイメージはない。地元には、かつて「木列(きつれ)坂」と呼ばれていたころのお話が伝わる。
 岩倉から嫁いできた働き者のおよしが、病気の母親の看病に夜、ササや下草が茂る真っ暗な峠道を不安な足取りで歩いていた。すると、ぼんやりとした灯火が招くように進んでいった。父親が迎えに来てくれたものと、灯火を追って歩くと、実家の裏で明かりは消えてしまった。
 およしは毎晩、畑仕事を終えた後、看病に通った。木列坂にさしかかると、小さい灯がおよしの足元を照らし、道先案内をしてくれた。看病のかいあって、母親の病気も日ごとよくなった。
 七日目の晩、およしがいつものように灯火をたよりに実家に着くと、火はスーッと尾をひいて山の方に飛んで行き、そのあとから一匹のキツネが走っていくのが見えた。母親はよくなり、およしはキツネに感謝して、木列坂の上り口に小さなほこらを作って、毎日お参りしたという。
 お話は、地元で生まれ育った元小学校長斎藤喜久雄さん(故人)が子どものころに聞き覚えた話などをまとめた「松ケ崎のはなしとことば」(一九九七年発刊)に収められている。「昔から松ケ崎には岩倉から嫁いでくる女性も多かった。そうしたことがお話のベースにあったのでは」。斎藤さんのおい、岩崎☆さん(七四)は話す。
 「子どものころは今以上にヘアピンカーブで、かなり急な坂道だった。ササが茂って道幅も狭く、大八車がやっと通れるぐらい。夕方は怖くてとても近づけなかった」。狐坂の名の通り、「昭和一けたのころは、夕方になると山で『ギャー』というような鳴き声が聞こえた。たぶんキツネの鳴き声だったのだろう」と岩崎さんは懐かしむ。
 里山の豊かな自然や里人の交流が織り込まれた昔語り。岩崎さんらは、地域の小学生らにも語り継いでいる。
 【注】☆の字は「浩」のサンズイが「日」の字です。
【メモ】現在、歩行者・自転車専用となっている道路は、1965(昭和40)年、国立京都国際会館の開館を機に整備され、昨春まで主要道路として車の往来が激しかった。江戸時代の都名所図会には「木摺(きすれ)坂」の表記も。上り口には坂を行き来する人々を潤した「桜井水」も残る。

【2007年1月18日掲載】

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