京都新聞TOP > 観光アーカイブ >ふるさと昔語り
インデックス

(32)椿さん(京都府京丹波町下山)

歯痛を治す霊験も
こけむしたツバキの大木「椿さん」。歯痛が治るという言い伝えがある(京丹波町下山)
 京都府京丹波町を流れる高屋川(由良川の源流)沿いの河岸段丘に開けた集落の京丹波町下山尾長野。集落の北はずれの谷を下ると、歯痛を治す霊験あらたかとされる、こけむしたツバキの大木「椿(つばき)さん」が、そびえている。
 言い伝えによると、戦国時代、京近辺で大小さまざまな戦が絶えなかったころ、戦いに敗れた武将たちが大勢、京からこの地を経て山陰道を逃れていったという。
 そんなある日、大きな傷を負った武将が、尾長野にたどりついた。武将は自らの余命を悟り、切腹して果てようとし、村人たちにこう言い残した。「歯痛が治るまじないを唱えて死ぬので、どうか、亡きがらを埋めてツバキの木を植えてほしい」と。
 村人は丁重に亡きがらを葬り、一本のツバキの幼木を植えたという。その後、ツバキは大きく育ち、春には多くの花を咲かせるようになった。
 尾長野で生まれ育った藤田健司さん(七四)は「子どものころ、歯が痛くなると椿さんの葉っぱ取って、ほっぺたをさすったもんだ」と懐かしむ。
 椿さんの話には、興味深い後日談がある。一九八三年九月、旧丹波町の郷土史を編さん室に一通の手紙が舞い込んだ。
 差出人は岐阜県在住の大谷と名乗る人物。手紙には「私は関ケ原の戦いで敗れた武将大谷刑部吉継(ぎょうぶよしつぐ)の一族、大谷正重の子孫。正重は関ケ原で敗れた後、丹波の山中で自害したと聞く。椿さん伝説を知り、現地を一度訪ねたい」とあった。
 手紙の内容を裏付けるような伝説もある。尾長野の南隣には、亡き夫、正重の菩提(ぼだい)を弔うために若狭からやってきた妻が出家し生涯を閉じた、と信じられている黒瀬という集落があり、今も住民が大切に守っている尼僧の供養塔が残っている。藤田さんは「何十年も前のことだが、椿さんの子孫を名乗る老人が供養に訪ねてきた」とも話す。
 関ケ原で敗退した正重は、敵の多い北国道を避け、あえて遠回りして山陰道を抜け、本拠地の若狭へ帰る途中、尾長野で無念にも果てたのだろうか。
 四百年以上たった今も、椿さんは、悲運の武将の魂を宿すかのように、毎春、深紅の花を咲かせ続けている。
【メモ】「椿さん」へは、JR山陰線下山駅から徒歩約30分。同駅から国道27号を北へ進み、下山小の脇の道を北へそれると、尾長野地区に着く。同地区の八坂神社裏山の谷筋を下った所に、こけむしたツバキの大木がある。木は、集落の人々に大切に守られ、そばには伝説を紹介する手作りの案内看板も設置されている。

【2007年1月25日掲載】

各ページの記事・写真は転用を禁じます。著作権は京都新聞社に帰属します
ネットワーク上の著作権について 新聞・通信社が発信する情報をご利用の皆様に(日本新聞協会)
電子メディアおよび関連事業における個人情報の取り扱いについて
京都新聞TOPへ