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(33)北白川の子安観世音(京都市左京区)

秀吉を負かし有名
自動車や人の往来が激しい交差点に立つ北白川の子安観世音(京都市左京区北白川西町)
 「お地蔵さんの前を通っていきますか」。京都市内中心部から今出川通を通って北東に向かう時、タクシー運転手から尋ねられることがある。今出川通を斜めに横切る志賀越道の入り口に立つ高さ約二メートルの巨大な石仏。北白川の顔として地元住民だけでなく、広く市民に親しまれている。
 子安観世音は、鎌倉時代中期ごろの作とされる。いくつかあるエピソードの中でも、豊臣秀吉を負かしたことで有名だ。
 ある日、秀吉に気に入られ、聚楽第(じゅらくだい)に連れ去られた。しかし、「白川に戻せ」と毎夜うなり声を上げ、元の地に戻されたという。
 文政十三(一八三〇)年の白川村の大火では、両手と首がちぎれ「首切れ地蔵」と呼ばれた。その後、村の入口に当たる現在地に移され、子授けや安全の願いをかなえ、子どもの成長を守る観音として信仰を集めた。
 かたわらに御詠歌を記した看板がある。
 「みちばたの 川にはさまれ 東むき あさひをうける 子安観音」
 かつて志賀越道の脇には幅一・五メートルほどの川が流れ、挟まれて立っていた。東を向き、朝日を受ける姿を詠んでいる。
 京の町で四季の花を売り歩く「白川女」は早朝、村を出ていく際、必ず花を供え、商売繁盛と一日の無事を祈った。出産間近でも行商に出る女性が多く、途中で陣痛に襲われないよう願った。七十五年間、現役だった白川女風俗保存会の田中くめ会長(九四)は「みんな『効果てきめん』と言うてました」と振り返る。
 時代とともに白川女は減り、今では十人ほどしかいない。衣装を着て頭上に花を載せ、大八車を引く古来のスタイルはほとんど見られず、花を供えることも減った。田中さんは「その代わり今は必ず拝んで、おさい銭を入れていくようです」。
 子安観世音は、数年前、走行中のトラックにぶつけられる事故に遭った。胴体と頭部は丸太を使って別々の石で組み合わせた弱い構造だったため、頭が転げ落ちた。額を中心に表面が損傷し、今もその部分だけは白くなっている。接着し、セメントで塗り固めた痕跡がはっきりと分かる。
 近くに住む森清さん(七六)は「お地蔵さんの周りでこれまで子どもが巻き込まれた交通事故は一度もないよ」と笑った。
【メモ】近くの久保田町西部・西町東部・西町西部の3町が輪番で世話をしている。毎月1日と15日は花を取り替え、絶やすことはない。ほこらは1953年に地元住民が浄財を出し合い、作った。「拾遺都名所図会」にも描かれている。

【2007年1月26日掲載】

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