京都新聞TOP > 観光アーカイブ >ふるさと昔語り
インデックス

(35)百たたきの門(京都市上京区)

悲痛な声 封じ込め
くぎ打ちされた山門のくぐり戸。裏手に回ると、今でも扉の左下に見ることができる(京都市上京区・観音寺)
 その山門の扉はクスノキの一枚板で造られている。「こんな立派な門、どこにもありゃしません。初めは少し怖かったけど、もう慣れました」。出水通の西端にある観音寺の鈴木豊抄住職(七七)は、扉にまつわる気味の悪い伝承について、さほど気にするそぶりも見せずに語り始めた。大雨のたびに水があふれたことから名が付いた「出水」。その七不思議にも数えられる古い言い伝えだ。
 門はもともと、豊臣秀吉の居城・伏見城の牢獄(ろうごく)に使われていた。庶民は築城や戦による徴税に苦しみ、浮浪や盗人が横行し、京の治安は悪化の一途だった。そこで軽微な罪人は門の前での百たたきの罰で解き放った。
 「二度と門をくぐることのないように」。そんな願いが込められていたのだろう。しかし、青竹で打たれた罪人は痛みに顔をゆがめた。骨を砕かれ、血を吐いた。中には息絶える罪人もいた。
 その門がなぜ、遠く離れた観音寺の山門になったのか。天明の大火のため、創建当初の記録はない。山門にまつわる伝説は口述で脈々と受け継がれてきたが、移築の理由は、もう分からない。「だから不思議なんじゃないですか」と鈴木住職。そして、現在の場所に移されてからの「不思議」について話を続けた。
 「観音寺さんの前を通ると、人の泣き声が聞こえる」。移築して間もなく、近隣の人にそんなうわさが広がった。いつしか、夜になると人通りが絶えるようになった。
 うわさを知った住職が調べると、風が吹くたびに扉の片隅にある小さな「くぐり戸」が自然と開き、「うう…」と泣くような悲しい人の声が聞こえた。「罪人の霊が乗り移っているに違いない」。そう考え、住職は百日間にわたって食を断ち、念仏を唱え続けた。人の声はしなくなった。
 鈴木住職は朝晩、山門の扉を開け閉めする。しかし、高さ八十センチ、幅六十センチのくぐり戸が開くことは二度とない。「ギーッ」と音をたてるくぐり戸を不気味に思った昔の住職がくぎ付けをしたからだ。門を表から見ても分からないが、裏に回ると扉の左下に罪人たちの悲痛な叫びを封じ込めたくぐり戸を見ることができる。
【メモ】浄土宗の観音寺は京都市上京区七本松通出水下ル、TEL075(841)7096。慶長12(1607)年に創建された。市バスの千本出水のバス停から徒歩5分。洛陽観音二十七番に数えられ、境内の「よなき地蔵」も著名。

【2007年1月31日掲載】

各ページの記事・写真は転用を禁じます。著作権は京都新聞社に帰属します
ネットワーク上の著作権について 新聞・通信社が発信する情報をご利用の皆様に(日本新聞協会)
電子メディアおよび関連事業における個人情報の取り扱いについて
京都新聞TOPへ