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(40)恋志谷神社(京都府南山城村)

悲恋の妃 悼み祭る
恋愛成就・子授け・安産の御利益があるという恋志谷神社(京都府南山城村南大河原)
 京都府の最東端・南山城村にある。国道163号の木津川を挟んで南側。森を背にしてひっそりとたたずむ社。天満宮はじめ計十三社が合祀(ごうし)されている。恋志谷神社もその一つ。恋愛成就・子授け・安産の神として知られる。
 近くの主婦、草水有美さん(二五)は「入り口の鳥居に、石を投げてうまく乗せられたら、願い事がかなうって言われました。子どものころ、必死になって乗せようとしました。わたしは成功したことないですけどね」とほほ笑む。
 恋志谷神社の始まりを伝える伝説がある。鎌倉時代末期、倒幕を企てていた後醍醐天皇は、その計画が幕府側に知れ、笠置山に身を潜めた。
 これを聞いた天皇の妃(きさき)は、伊勢で病気療養中だったが、病の体をおし、駆けつけたが時すでに遅し。妃が到着した時には、すでに天皇は追っ手から逃れるため、笠置山を跡にしていた。妃は悲しみと長旅の疲れで持病を再発。「恋い焦がれ、病に苦しむようなつらいことは自分一人で十分。人々の守り神になりたい」と遺言を残し、この世を去った。妃を哀れんだ人々が祠(ほこら)を建て、祭った。最期まで「恋しい、恋しい」と言い続けていたことから、愛着を込めて「恋志谷さん」と呼ばれるようになったという。
 恋志谷神社が現在地に祭られるようになったのは明治期のこと。近くに住む宮守、今中美文さん(六四)は「昔はこの西側の山中にあった。木が生い茂ってなかなか行きにくい所だが、今も跡は残っている」と話す。
 毎年四月と九月の二日にある大祭の時は多くの人でにぎわうが、「昔は笠置、加茂、島ケ原(三重県伊賀市)といった近くの町村の人が多かったけど、ずいぶん減った。『インターネットで知った』って、遠くから来る人が多くなったね。名古屋から来たっていう女の子もいた」と今中さん。
 神社の御利益をネットで知った若い女性が、遠方から足を運ぶ。時代は変わっても、恋が人々の心をとらえることに変わりはなく、恋の成就を願う気持ちも変わらない。
【メモ】恋志谷神社は南山城村南大河原。JR関西線の大河原駅から徒歩で10分余り。駅のほぼ南の対岸に位置する。国道163号を横切り、木津川河川敷に降り、通称「恋路(こいじ)橋」を渡ってすぐ。増水時は橋が沈むので注意。この橋を渡って参拝すると、御利益が増すといううわさもある。

【2007年2月9日掲載】

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