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(41)蜊江神社(守山市)

「タニシ保護」今に
タニシを守るためにつくられた御蜊様池(守山市笠原町・蜊江神社)
 立派な本殿や拝殿、仏堂が混在して建つ神仏習合の蜊江(つぶえ)神社(守山市笠原町)。広い境内の隅に小学校の二十五メートルプールより一回り大きい、水の枯れた人工池がある。「御蜊様(おつぶさま)池」と呼ばれ、かつては名の通り、「御蜊様」を守るための池だった。
 「蜊」はハマグリなどを意味するが、笠原地区では「つぶ」と読んでタニシのことを指している。小川や水田などに生息する、農村ではごくありふれた生き物だが、なぜこれほど大層にまつっているのか。それは、神社に次のような伝説が残っているからだ。
 江戸時代の一七二一(享保六)年七月、豪雨で神社のそばを流れる野洲川がはんらんし、ご神体を安置している社殿が流失しそうになった。その時、川の上流から流れてきた神輿(みこし)におびただしい数のタニシが付着。神輿はタニシの重みで社殿の前にとどまり、社殿が濁流にのみ込まれるのを防いだという。
 感銘を受けた村人たちは、境内に池を掘って水を張り、タニシを放して保護した。蜊江神社という名もこの時に命名され、住民たちはタニシのことを敬意を込めて「おつぶさん」と呼ぶようになった、という。
 以来、笠原地区ではタニシを食べなくなった。戦中戦後の食糧難の時代、タニシは貴重な栄養源だった。簡単に捕まえることができ、同地区以外では、よくタニシを炊いて食べたという。そんなころでも、笠原の人たちは口にしなかった。
 神社氏子総代の大岡忠男さん(七五)は「小さいころ『おつぶさんは神様の使いやから食べたら腹が痛くなる』と親に教えられた」と話す。
 しかし、河川の水質悪化などの影響でタニシは徐々に減少していった。さらに神社近くの野洲川が大規模な改修工事で廃川になり、境内の池から水がなくなってタニシが保護できなくなった。
 身近な場所からタニシが姿を消し、人々の信仰心が薄れる中、大岡さんは「おつぶさんを守ることは、生き物や自然を大事にする心を養うことにつながる」との信念で、今も地元の子どもらに神社の伝説と先代の教えを伝え続けている。
【メモ】蜊江神社はJR守山駅から近江バス服部線「守山北高前」で下車約5分。境内は約1.4ヘクタールもあり、市史跡に指定されている。祭神はニニギノミコト、本尊は地蔵菩薩で、毎年7月に神前で大般若経の転読が行われるなど神仏習合の形態を残す。守山市文化財保護課TEL077(582)1156。

【2007年2月14日掲載】

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