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(42)十輪寺(京都市西京区)

業平の悲恋伝える
在原業平が塩焼きを楽しんだという塩がま跡。悲恋の逸話が伝わる(京都市西京区・十輪寺)
 竹が生い茂る小高い丘を上がりきると、噴火口のような形の大きなくぼみが目の前に開ける。ヒノキの高木に囲まれた直径七、八メートル、深さ一・五メートルほどのすり鉢状で、木漏れ日が降り注ぐ。その真ん中に、石を組み上げてコンクリートで固めた「塩がま」が鎮座する。
 西山の中腹に抱かれた十輪寺。六歌仙にも数えられる平安初期の歌人、在原業平(なりひら)が五十六歳で世を去るまでの晩年を同寺で閑居し、なりひら寺とも呼ばれる。塩がまは、その本堂の裏山にある。ここで、業平が塩焼きを楽しんだと伝わる。残っていた石を基に復元された。
 塩焼きは平安貴族の風流な遊び。業平も難波から海水を運ばせて煮詰め、海辺の風情を味わったという。そこには、男女の情愛を描いた「伊勢物語」の主人公といわれ、情熱的なプレーボーイだったとされる業平らしい逸話も残る。
 藤原氏の政略によって、業平との恋仲を裂かれた清和天皇の后、二条后(藤原高子)が藤原氏の氏神の大原野神社を参詣した際、業平が塩がまから煙を立ち上らせて変わらぬ恋心を伝えたというエピソードだ。
 泉浩洋住職(七六)は「会いに行くことはできないが、せめてもと煙に思いを託した。貧すれば鈍するというが、業平さんは風流を忘れなかった。単なるプレーボーイではなく、世の無常や人の気持ちが理解できる繊細さがあったのだと思う」と推し測る。
 その業平の悲恋の一方で、権勢をほしいままにした藤原氏も、武家の台頭でやがて時代の表舞台から遠のいていく。中世以降、藤原氏の衰退は、高子との仲を引き裂かれた業平のたたりと考えられ、業平への信仰が生まれた。同寺は藤原氏の流れをくむ花山院家の帰依を受けて、同家の菩提寺(ぼだいじ)になったという。
 同寺では毎年、業平の命日(五月二十八日)に三弦と声明によって業平をしのぶ業平忌が営まれている。泉住職によると、明治時代になるまで花山院家が一族の再興を願ってひそかに行ってきた儀式を戦後に復活させたという。
 復権を願った業平忌は、時代は変わり、数々の恋愛遍歴で知られる業平にあやかって恋愛成就を願う若い女性の参拝客が多く訪れるようになっている。
【メモ】十輪寺TEL075(331)0154は、京都市西京区大原野小塩町にある。市バスでは、桂駅西口から大原野小学校前で下車し、約1.5キロ歩く。阪急バスなら、JR向日町駅や阪急東向日駅から小塩で下車。11月23日には、塩焼きを再現する塩竈清祭(しおがまきよめさい)も行われる。

【2007年2月15日掲載】

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