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(43)仁和寺の法師(京都市右京区)

愚かだが人間味も
吉田兼好の墓と伝えられ、参拝者の絶えない兼好塚(京都市右京区・長泉寺)
平安前期の光孝天皇勅願に始まる仁和寺は、皇室ゆかりの格式高い寺だ。だが、多くの人がその名を知るのは、古典の教科書で習った吉田兼好の「徒然草」を通じてだろう。
 徒然草には仁和寺の法師が数多く登場する。石清水八幡宮を参拝しようとした法師が、勘違いをしてふもとの寺を参拝する。稚児と戯れる法師が、雙ケ岡に折り詰めを埋め誘い出すが、何者かに盗まれる。里芋が好物の高僧が、師匠から譲られた金銭や僧坊までも里芋に替えてしまう。
 およそ仏に仕える身とも思えぬ滑稽(こっけい)な所業の数々。最も有名な話は、酒に酔った法師が三本足の鼎(かなえ)を頭から被って踊るが抜けなくなり、無理やり引き抜いて大けがを負ってしまう。
 同寺の沖田定信総務部長は「ありがちな話」としながらも「仁和寺本家ではなく、広大な寺域に七十以上あったとされる子院の実態を描いたのではないか」と苦笑する。
 兼好は当時、仁和寺境内だった雙ケ岡に草庵を設け、執筆にいそしんだという。雙ケ岡東麓(ろく)の長泉寺境内には、兼好の墓と伝わる「兼好塚」がある。江戸中期の一七〇四年ごろ、西麓の旧跡から移されたと伝え、訪れる愛好家が絶えない。同寺の水野智廣住職(四四)は「どこまで本当か分からないが、小さな寺が存続できたのは、兼好さんのおかげ」と話す。
 同寺は江戸期に制作された、書物を広げた兼好の木像を祭る。兼好への愛着が募り、住職になった人物もいたらしい。「宗教者でありながら、大寺院とは距離を置き、隠遁(いんとん)生活の中でありのままの世の中を描く。そんな姿が共感を呼ぶのだろう」と水野住職は推測する。
 現代の仁和寺の法師はどう思うのか。「話を読み直して、平和だなあと思う。身を削るような修行の反動で、羽目をはずしたい気持ちは分かる」と総務課書記の臼井真山さん(二八)は好意的だ。
 愚かだが、どこか憎めぬ法師の姿は、近寄りがたい聖職者を身近に感じさせる。「昔は不愉快に思う寺関係者も多かったでしょうが、今では人間味のある話として寺でも評価されていますよ」と沖田部長。
 飲酒をめぐるトラブルが絶えぬ昨今、鼎の坊さんを笑えぬ人も多いはず。自戒を込め、「酒は飲んでも飲まれるな」。
【メモ】仁和寺は京福北野線の御室駅から徒歩3分。長泉寺は同5分。境内には、兼好ゆかりの歌碑が多い。兼好自筆と伝わる歌集や江戸初期の徒然草の写本もあ る。参拝する場合は事前に同寺TEL075(462)8069へ問い合わせを。

【2007年2月16日掲載】

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