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(44)北向きの毘沙門さん(京都府久御山町)

力強く笠置山望む
笠置山の後醍醐天皇を守るため、楠木正成が寄進したといわれる毘沙門天像。都のある北を向いて祭られている(京都府久御山町市田)
 京都府南部にある久御山町のほぼ中心部。住宅が密集する市田地区に毘沙門堂はある。周囲の家より少し高台にある堂の中で、赤や金の鮮やかな極彩色をまとった北向きの毘沙門天像は静かに地域の移り変わりを見守ってきた。
 そもそも、毘沙門天は北方守護神で南を向いているのが一般的。しかし、北を向いて祭られているのには、いわれがあった。
 鎌倉時代末期、時の後醍醐天皇は倒幕を企てていたが、その計画が幕府側に知れて失敗。執権北条氏から逃れ笠置山(京都府笠置町)に身を置いた。味方になってくれる人間を探していたある晩、後醍醐天皇は不思議な夢をみた。
 二人の子どもが現れ、「南を向いて大きく伸びた木が身を守ってくれる」と告げた。夢で見た「木」と「南」の文字を組み合わせ「楠」の字を持つ武士を探し、楠木正成(くすのきまさしげ)を呼び寄せた。正成が笠置山へ向かう途中、市田の土地に立ち寄り彫刻したのが、この毘沙門天だという。北向きに安置したのは、都に対して南方の笠置山にいる後醍醐天皇を守り、倒幕を成し遂げるという正成の決意の表れだといわれる。そのりりしい表情から、正成の思いの強さを感じ取ることができる。
 同地区には、毘沙門天を守る講が今も残る。その一人、山田光夫さん(五九)は「毎月一日と十五日には、八軒が交代で朝晩ご飯やおかずなどを供えますが、毘沙門天を拝めるのは八月二十三日の地蔵盆だけ。それでも毎日拝みに来る人もいるほど親しまれています」と話す。
 近くに住む高田米和さん(七四)は「子どもが生まれたら、友達ができますようにと毘沙門さんと近くの社寺にお参りする風習がある」と教えてくれた。「この辺りは、三年に一度しか米が取れないほど水害が多かった。けれど、毘沙門さんは高台にあるおかげで水につかったという話を聞いたことがない。昔の人が毘沙門さんを大事に思っていた証しでしょう」と高田さん。
 正成にちなんで植えられたというクスノキも、今や大木と呼ばれるほどに成長した。かつて後醍醐天皇を守ったといわれる毘沙門天は今、地域の守り神として愛され続けている。
【メモ】毘沙門堂は、京都府久御山町市田珠城。近鉄大久保駅または京阪中書島駅から京阪バス「佐古」バス停下車。北へ徒歩約10分。大きなクスノキが目印。「毘沙門天」の文字が彫られた石柱がある。毘沙門天像は年に一度、地蔵盆の8月23日しか目にすることができない。

【2007年2月20日掲載】

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