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(46)内臓のある阿弥陀如来(京都市中京区)

夢で幽霊が枕元に
誓願寺の墓地に立つ山脇社中解剖供養碑。「内臓のある阿弥陀如来」は焼失したといわれる(京都市中京区)
 日本初の人体解剖を行った山脇東洋(一七〇五−六二年)。山脇家の菩提(ぼだい)寺でもあり、東洋とゆかりの深い誓願寺にはこんな言い伝えがある。
 幕府の医学者として名を成した東洋はある夜、夢を見た。誰かは定かではないが、解剖された死刑囚の幽霊が枕元に現れて訴えた。
 「私は罪を犯していないのに捕らえられ、ついに死刑にされてしまった。そのうえ解剖までされて五臓六腑(ろっぷ)もなくしてしまったから、いつまでたっても成仏できない」  夢から覚めた東洋は早速、その霊を鎮めるために阿弥陀(あみだ)如来像をつくってもらい、誓願寺に寄進した。その阿弥陀如来像の胎内には「内臓」があったという。
 東洋が寄進したと伝えられる「内臓のある阿弥陀如来」は残念ながら今はない。一八六四(元治元)年の蛤(はまぐり)御門の変(禁門の変)で誓願寺一帯も焼失してしまったからだ。「『胎内に五臓六腑がある阿弥陀如来があった』という言い伝えはあるが、大きさなど詳しいことは何も分からない」(誓願寺)という。
 この言い伝えは何を語っているのだろうか。合理的な精神の持ち主だった東洋も、霊を恐れる気持ちが強かったということなのだろうか。
 医学史の研究家で眼科医の奥沢康正さん(六六)=西京区=は「日本初の人体解剖に対する当時の世間の風評を伝えているのではないか」と指摘する。「東洋は日本初の解剖を行ったが、病理解剖はそれよりずっと後の時代のこと。東洋が臓器を遺体から取り出したとは、当時としては考えにくい」。幽霊が「内臓を失った」と訴えるのは不自然だというわけだ。
 当時、儒教や仏教の厳しい規範から人体解剖は長く禁制とされてきた。それだけに、京都所司代の許可を得たとはいえ、初の人体解剖は時の世に激しい論争を巻き起こし、東洋は厳しい批判にさらされた。
 東洋は謙虚で世間の批判にも無関心ではなかったという。解剖の度に手厚い慰霊法要を営み、誓願寺には解剖に付された十四人の供養碑が立つ。阿弥陀如来像の伝説もそうした東洋の姿を伝えているのだろう。
【メモ】山脇東洋は現在の亀岡市の出身。カワウソを解剖して人体解剖に備えた。解剖は1754(宝暦4)年、現在の中京区六角通大宮西入ルにあった六角獄舎で行われ、刑死者の遺体が腑分けされた。5年後、東洋は日本初の解剖学書「蔵志」を著した。

【2007年2月22日掲載】

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