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(48)鞍掛神社(大津市)

皇子の魂 守り続け
大友皇子を祭る鞍掛神社。毎年、中村一族による例祭が営まれる(大津市衣川2丁目)
 鞍掛(くらかけ)神社は大津市衣川二丁目の衣川台団地の北側にある。天智天皇が大津宮で亡くなった後、皇位をめぐって弟の大海人皇子と天皇の息子である大友皇子が争った壬申の乱(六七二年)が起きた。舞台となった滋賀県には、伝説が数多く残る。大友皇子を祭る、この神社もその一つだ。
 瀬田橋の最終決戦に敗れた大友皇子は、敗走した後に力尽きて自害した。日本書紀は記す。「走(に)げて入らむ所無し。乃(すなわ)ち還りて山前(やまさき)に隠れて、自ら縊(くび)れぬ」。山前の場所は特定できておらず、大津市内だけでも四カ所の最期の地が語り継がれている。
 鞍掛神社の入り口付近に立つ由来碑や伝承では、日本書紀と異なる。大友皇子はわずかな従者と衣川の別邸に落ち延びた。敵が迫り、逃げ場はない。乗ってきた馬の鞍を柳の木に掛けると、覚悟を決めて自らの命を絶ったとされる。
 八八二年、陽成天皇の勅命によって創建された神社の名前は、この故事に由来している。
 皇子の最期をみとった二人の侍臣は、手厚く葬ると農民になって衣川の地に根を下ろした。いつしか「中村」の姓を名乗り、何代にもわたって、ひっそりと霊を慰めてきた。
 千三百年以上の年月がたった今でも、神社では皇子の霊をしのんで祭りが営まれている。氏子は八家族だけで、いずれも「中村」姓。侍臣の子孫たちだ。「親の姿を見て、祭りをするものだと自然と身に染みついている。やめるわけにはいかない」と氏子の一人、中村昭作さん(六一)は語る。
 今年の例祭の当番を務める中村友治さん(五五)は「ここまで続いてきたのは、(皇子を)お守りするのは自分たちしかいないという気概があったからでしょう。その思いは大事にしたいし、誇りでもある」と話す。
 かつて、例祭は皇子の命日である七月二十三日だったが、現在では第三日曜日に執り行われている。
 中村家の男性が裃(かみしも)を身にまとって参列し、近江神宮の宮司が厳かに祝詞をあげる。時を超えて、主従の強いきずながよみがえる瞬間だ。「一度もお会いしたことのない人ですが」と友治さんは笑う。しかし、主君を思った侍臣の魂は、絶えることなく生きている。
【メモ】鞍掛神社は大津市衣川2丁目。JR湖西線の堅田駅より、江若バス天神山で下車して徒歩約5分。今年の例祭は7月15日に予定している。大友皇子は明治3(1870)年に、明治天皇から「弘文天皇」の名前が贈られた。大津市役所の西側に、それから7年後に定められた弘文天皇陵がある。

【2007年2月27日掲載】

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