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(49)鬼退治伝説の立岩(京丹後市丹後町間人)

威容 激闘ほうふつ
歴史と神秘を秘めて、そびえ立つ立岩(京丹後市丹後町間人)
 丹後半島を蛇行しながら縦断し、日本海へと注ぎ込む竹野川。河口には後ケ浜海岸の白い砂浜が広がり、浜続きの海上にそびえ立つ立岩の威容が目に飛び込んでくる。高さ約三十メートル、周囲約一キロもあり、京都百景にも選ばれている巨大な玄武岩。この自然岩が、大江山の鬼退治伝説の最終舞台だとされる。
 近くの竹野神社に残る「紙本著色大明神縁起」が色彩細やかに五段構成の物語としてこの伝説を描いている。それらによると今から約千四百年前、南約五十キロにある大江山にすむ三匹の鬼が非道の限りを尽くしていた。見かねた推古天皇がその征伐を聖徳太子の異母弟の麿子親王に命じた。親王は伊勢神宮に参拝し、七仏薬師像を彫って退治を祈願。四天王の部下や神犬、神馬を従えて鬼と激しい戦いを繰り広げ、授かった神剣の力で二匹を退治したが、一匹が逃走。はるかかなたの立岩まで追いつめた親王は、必死に抵抗する鬼を岩穴に落とし入れ、七仏薬師の加護で天から大岩を落下させて鬼を閉じこめた、という。
 かつて江戸時代には、霜月(十一月)丑(うし)の日に「鬼祭り」が行われ、立岩に米を供えて鬼の魂を鎮めたという。岩の入り口には今も小さな祠(ほこら)があり、お参りする人の姿も時々見られる。京丹後市教委文化財保護課長補佐の吉田誠さん(四八)=同市丹後町間人=は「子どものころ、怖いから立岩の近くで泳いじゃいけない、とよく言われました。今思うと河口近くで水流が変化しやすく、危険だったから鬼伝説を逆利用したんでしょうね」と話す。
 観光のシンボルにもなっている立岩は、その毅然(きぜん)とした姿から写真家や画家にとっても魅力に富む。夏は照りつける太陽に向かい、冬はたたきつける波浪や吹雪に身じろぎもしない。五十年以上も立岩を描き続けているという給田昭吾・元網野高校長(七六)=同町間人=は「立岩は実に神秘的で、哲学的でさえある。自然の厳しさを教え、人間の営みの小ささを語りかけるように日々刻々表情を変えているように見えるんです」と奥深さを語る。
一帯には弥生期の竹野遺跡や古墳期の産土山古墳、神明山古墳などの遺跡も多く、古代ロマンの宝庫にもなっている。
【メモ】紙本著色大明神縁起は、20枚の和紙をつなぎ合わせ、幅30センチ、長さ9メートル。段ごとに漢文で内容が解説されている。上部をぼかす「霞(かすみ)の手法」が使われていることから桃山時代(16世紀後半)の作とされる。現在は京都国立博物館に寄託。立岩へは丹海バス「丹後庁舎前」下車すぐ。

【2007年2月28日掲載】

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