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(51)八坂神社御供社(京都市中京区)

疫病封じ信仰深く
商店街を行き交う人々を静かに見守る八坂神社御供社。何気なく立ち止まり手を合わせる人が多い(京都市中京区)
 京都市中京区の京都三条会商店街の一角、三条通黒門の北西角に小さな社が静かに立つ。八坂神社御供社(ごくうしゃ)だ。祇園祭には欠かせない社だが、由来を知る人は意外に少ない。
 八九六年、平安京を原因不明の疫病が襲い、朝廷も民衆も恐怖に陥った。疫病は疫神や怨霊の仕業と考えられ、これを鎮める御霊会が行われたという。
 御霊会は、平安京内の広大な庭園だった神泉苑の池のほとりで営まれた。当時の国の数と同じ六十六本の鉾を立て、同時に祇園社(現在の八坂神社)からスサノオノミコトなど三基の神輿(みこし)を迎えた。後に神泉苑の東南端の地に社が置かれ、これが御供社につながるという。江戸初期に徳川家康が二条城を築城した際に神泉苑は大幅に縮小したが、建物も行事も大切に継承されてきた。一九〇六(明治三十九)年に八坂神社の末社となり現在に至る。
 毎年七月二十四日の祇園祭「還幸祭」。祭りの前日、御供社の前に池の水辺を表す芝生を敷き、「オハケ」という三本の御幣(神様が宿る場所の目印)を立てる。ここで神饌(しんせん)を供えることが呼び名の由来となった。還幸祭の神輿は今も御供社を経て八坂神社まで担がれる。
 五月のお田植え祭、祇園祭の吉符入りなど、年間を通して絶え間ない祭りを支えるのが、地元の町衆でつくる三若神輿会(さんわかしんよかい)だ。還幸祭の三基の神輿のうちスサノオノミコトの神輿を担当。現在は地元の十二世帯が世襲で、運営組織の役員などを務めている。「山鉾巡行が注目されがちだが、神輿の巡行も祇園祭の中心行事なんです」と、同神輿会に十世代以上携わる前田諭志・副幹事長(四六)。
 昨年ごろから、商店街を中心に重要性を見直す動きが高まっている。「歴史を学ぶほど御供社の貴重さが見えてくる。次の世代にきちんと継承したい」と前田副幹事長。昨年から毎月の清掃活動を始め、還幸祭では初めて子供たちが堤灯行列で神輿を迎えた。
 「政教分離が大原則の現代では考えられないが、当時は疫病を鎮めるために神様を頼ったのでしょう」と管理する八坂神社権禰宜(ごんねぎ)の鈴木雅史さん(二七)。出入り自由の小空間にはぶ厚い歴史が詰まっている。
【メモ】八坂神社御供社は京都市営地下鉄二条城前駅から徒歩5分。祇園祭では、四条御旅所(四条寺町東入ル)に一度神輿を安置した後この地に神輿が移るため、「またたびさん」との愛称で呼ばれる。直通電話がないため問い合わせは八坂神社TEL075(561)6155。

【2007年3月2日掲載】

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