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(54)猿曳に絵馬(京都市伏見区)

夜な夜な田畑荒らす
金網に覆われた猿曳の絵馬(最上部)=京都市伏見区・御香宮神社
 境内にわき出る名水「御香水」をくみに訪れる人が絶えない御香宮神社。拝殿の東にある絵馬堂に入り、天井付近を見上げると、猿曳(さるひき)の様子を描いた絵馬が飾られている。
 猿曳は、今でいう猿回しのこと。絵馬は横約二・五メートル、縦二メートル。鳥居のそばで芸を披露する帽子姿のサルなどが、レリーフのように立体的に彫られている。図柄の内容については、江戸時代の名所記「京童跡追」などから今に伝わる。
 ある日、諸国を巡っていた猿使いが、同神社にたどり着いた。疲れと空腹のあまり、息も絶えかけていたところ、肩に乗っていたサルが駆け出し、神前にわき出る水を両手ですくい、主人の口にそそいだ。すると、猿使いは夢中になって飲み出し、香り高い水の味わいにたちまち元気になり、「これは神の力に違いない」と一曲を舞って感謝を示した、という。
 「いわゆる、霊水神話の一つ」と三木善則宮司(六二)は説明する。絵馬は江戸時代の一六四六年、願主後藤庄兵衛、作者前田六之丞として奉納されたとされる。伝説と奉納、どちらが先かは定かではない。現在は金網がかぶせられている。「これにもいわれがあってね」
 絵馬の奉納後、近くで夜な夜な作物が荒らされる事件が相次いだ。たまりかねた住民たちは夜の番を続けた。ついに、夜陰に紛れて田畑を荒らす一匹のサルを見つけ出し、住民が手にしていた鎌で切りつけたが、サルは逃げてしまった。すると翌朝、絵馬のサルの腕がなくなっていた。
 金網は、絵馬からサルが抜け出さないようにかぶせられたそうだ。三木宮司は「絵馬の出来の良さから生まれた伝説だろう」と推測する。その完成度の高さは、江戸時代に活躍し、落語や講談の題材でも知られる伝説的な彫刻師左甚五郎が作った、と誤って伝えられるほどだった。
 大きなヒノキ材で組み上げられた絵馬堂には、馬や武士などが描かれた大小百数十枚の絵馬が残る。「かつてはいろんな絵を楽しめる、まちのギャラリーのような場所だったのだろう」と三木宮司。人が集い、優れた作品があるところから、さまざまなうわさや物語が生まれるのは、今も昔も変わらない。
【メモ】御香宮神社の名前の由来にもなった御香水は伏見七名水の一つで知られる。絵馬堂内は自由に出入りできる。毎秋営まれる神幸祭では、みこしの渡御をはじめ、氏子地域で華やかな花傘が作られ、同神社に集まる花傘総参宮などでにぎわう。弓矢で悪鬼を追い払う2月の「御弓始(おゆみはじめ)」では、氏子が練習をせずに本番に臨み、的に当たるまで弓矢を射続ける。近鉄桃山御陵前、京阪伏見桃山、JR桃山の各駅から徒歩5分以内。TEL075(611)0559。

【2007年3月8日掲載】

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