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(55)彦根山(彦根市金亀町)

聖観音霊験の逸話
彦根城が築かれる前、観音信仰の地だったことをしのばせる彦根山の一角の「観音台」(彦根市金亀町)
 姫路城が、その外観から「白鷺(しらさぎ)城」と称されるのに対し、彦根城の別名「金亀(こんき)城」は、黄金の亀と聖観音像にまつわる伝承に由来する。
 天守閣の奥に広がる西の丸を北へ進み、橋を渡る。石垣で四方を囲んだ台地に「観音台」と呼ばれる曲輪(くるわ)が築かれている。穏やかな日差しが注ぐ木々の間から、琵琶湖を遠望することができる。
 四百年前に城が築かれるはるか前、彦根山の一角だったこの場所に、奈良時代の政治家藤原房前(ふじわらのふささき)(六八一−七三七)が寺を建立した、と伝わる。本尊としてまつったのが、黄金の亀の甲に乗った聖観音像だったことから、「金亀山彦根寺」と名付けられた。
 平安時代の歴史・仏教書「扶桑(ふそう)略記」は、摂津の国の盲目の僧が夢のお告げを受け、彦根寺で三日間祈ったところ、聖観音の霊験で目が見えるようになった、との逸話を記す。観音信仰や修験の霊場として皇族や公家なども訪れた。京に向かって延びる道は、そのにぎわいぶりから「巡礼街道」と呼ばれた。
 関ケ原の合戦後、井伊家が城を築くと、寺の名は「金亀山北野寺」と改まり、琵琶湖に近い城下町の西端に移った。
 城から歩いて十五分、馬場一丁目の北野寺を訪ねた。朱塗りの山門をくぐり、石畳を進んだ正面に立つ本堂には聖観音の立像がまつられていた。名誉住職の野路井宏之さん(七九)によると、寺の境内は江戸期より狭くなっているが、今も観音信仰と修験の霊場として参拝者が途絶えることはないという。「朝まだ暗いうちから、熱心にお参りする姿が見られる。八月には修験の護摩供も営む」
 寺の縁起書には、彦根山の観音信仰をめぐる古代からの言い伝えが記され、移転後の寺の姿も記されている。井伊家の祈願寺となり、僧三十六人や寺侍など十数人が住んだ。維持管理の費用は藩が担い、十七世紀の大火で全焼すると藩主の寄進で再建されるなど手厚い保護を受けた、とある。
 彦根城では築城四百年祭が二十一日から始まる。「そのルーツは観音信仰の山だったという歴史を、多くの人に知っていただきたい」と野路井さんは話している。
【メモ】彦根山で1603年に築城が始まり、20年かけて完成した。国宝の天守閣はじめ4棟の重要文化財の建物が現存し、近世城郭の特徴を残す。JR彦根駅から西約1キロ。城山公園事務所TEL0749(22)2742。北野寺は近江西国観音霊場札所の一つで、修験道の祖「役行者(えんのぎょうじゃ)」像も安置する。彦根城表門から西約1.2キロ。TEL0749(22)5630。

【2007年3月9日掲載】

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