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(56)丹波康頼ゆかりの金輪寺(亀岡市)

医者の祖先まつる
丹波康頼を供養するために建てられたといわれる五輪塔(亀岡市宮前町・金輪寺)
 一八五四年十月十三日、江戸医学館に運び込まれた三十巻に及ぶ日本最古の臨床医学全書を前に、当代一流の医学者たちが感嘆の声を上げた。書の名は「医心方」。隋・唐の医書二百数十部をもとに編さん、九八四年に宮中へ献上された後、九百年近く秘蔵されてきた「漢方医学のルーツ」の全ぼうがあらわになった瞬間だった。現在、その写本は国宝に指定されている。
 しかし、編さん者である平安時代の針博士・丹波康頼の出自を巡っては、現在の亀岡市上矢田、下矢田町周辺と想定される「矢田郡」か「天田郡」(福知山市南天田町)か、謎に包まれている。
 丹波氏の系図に記された康頼に関する記述には「丹波国矢田郡人」とあるが、「矢恐当作天」とのただし書きも。「『矢』は『天』の書き間違いであろう」。つまり「康頼は矢田郡の人ではなく天田郡の人」とも読めるからだ。
 ただ、亀岡市内には康頼ゆかりの地が残っている。宮前町の神尾山頂近くにある金輪寺の五輪塔もその一つ。康頼を供養したものといわれる。住職の加来廣久さん(五二)は「『医者の祖先』をまつる場所として、東京などからも参拝者が来るんです」と話す。
 康頼の六代後の基康が康頼の念持仏を胎内に納めた薬師如来を寄進したことから、歴代住職の墓の横に塔が建てられたという。この縁からか、「丹波氏の末裔(まつえい)に当たる東京の錦小路家からは、二十五年ほど前まで年末になると供養料が送られてきた」(加来住職)。
 また、「医王」と称された康頼が住み、薬草を育てたとの言い伝えがある「医王谷」(下矢田町付近)などの地名が残るほか、現在、その谷の近くにある鍬(くわ)山神社(上矢田町)には、康頼が、そのころ谷に鎮座していた同社に日参し、医療の神・大国主命に医術の向上を祈願したことを記す江戸時代の古文書が伝わる。
 一方で、「合点がいかない」と語るのは、医王谷の歴史に詳しい郷土史家、永光尚さん(八八)=同市西つつじケ丘。谷に鎮座したほかの神社には「医王」の別名を持つ薬師如来が安置されており、それが地名の由来になったのかもしれないという。「結局、『矢田郡人』の表記や地域の言い伝えが混ざり合い、康頼の伝説が亀岡に根付いたのでしょう」
 福知山市教育委員会文化財保護係の大槻伸さんは、康頼と直接結びつくゆかりの地は「福知山ではあまり聞いたことがない」と話すが、福知山市史には丹波氏系図をもとに、「丹波天田郡の人丹波康頼」と記載されている。謎は深まるばかりだ。
【メモ】金輪寺はJR山陰線亀岡駅から京阪京都交通バスで宮川バス停下車、徒歩約40分。自動車では京都縦貫自動車道千代川ICから20分。鍬山神社へは亀岡駅から亀岡市コミュニティーバスでムツミ病院前下車、徒歩10分。

【2007年3月13日掲載】

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