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(57)神泉苑の雨乞い(京都市中京区)

空海の法力さえる
 二条城の南側にたたずむ神泉苑。木立に囲まれた池ではアヒルがエサをついばむ。のどかな雰囲気を漂わせるが、平安京造営とともに造られ、長い歴史を誇る。平安時代には、干ばつになると密教僧による雨乞(ご)いの祈祷(きとう)がしばしば行われた。有名なのが、東寺(京都市南区)の空海と西寺(現在は廃寺)の守敏(しゅびん)の二人の僧侶による雨乞いの術比べの言い伝えだ。
 神泉苑に伝わる「神泉苑絵巻」によると、守敏は冷たい水を温かくしたり、火鉢の火をたちまち消してしまう法力によって時の天皇のお気に入りになった。しかし、天皇の前で、空海の法力の方がより強いことが明らかになってしまう。
 恥をかいた守敏は空海を恨み、雨を降らせる龍神を法力によって水がめの中に封じ込めてしまった。大干ばつに困った天皇は空海に神泉苑で雨乞いの祈祷を行うよう命じる。空海は、守敏のたくらみを見抜き、北天竺(てんじく)(現在のチベット付近)から善女龍王という龍神を呼び寄せた。三メートルほどの蛇に乗った長さ約二十四センチの金色の蛇のような龍王が池に舞い降りると、たちまち大雨になったという。
 神泉苑は現在は東寺真言宗の寺院だ。鳥越英徳住職(五七)は「その後、法力比べに敗れた守敏は死んでしまう。勝った空海の東寺はますます栄え、西寺は廃れたといいます」と説明する。
 造営当時の神泉苑は大内裏の南側に東西二町、南北四町(一町は約百九メートル)の広大な敷地を有した。しかし、天皇や貴族の力が弱まると、戦乱などによって次第に荒廃する。江戸時代に、二条城の築城とともに修復されたが、大きさは創建時の十五分の一ほどに縮小してしまった。
 天皇の遊猟(りょう)、釣魚の地として利用された神泉苑だが、祈雨の霊場や怨霊(おんりょう)鎮魂のための御霊会の場ともなり、池の水で清めた鉾で悪霊を振り払った祭りが祇園祭の起源とされる。現在は、池の島に設けられた社に善女龍王を祭り、地域の人たちから「ひでんさん」の愛称で親しまれる。
 鳥越住職は「雨の少ない年には、降雨を願って滋賀県や和歌山県などからお参りに来る人もいる。島にかかる朱塗りの『法成橋』の上で念ずると願い事がかなうといって訪れる若い人も多いですね」という。
【メモ】神泉苑は京都市中京区御池通神泉苑町東入ル。TEL075(821)1466。京都市営地下鉄東西線「二条城前駅」下車、西約300メートル。JR二条駅からは東約600メートル。市バスは「神泉苑前」。参拝自由で無料。国の史跡。5月3日には神泉苑祭が行われる。

【2007年3月14日掲載】