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(58)土蜘蛛塚(京都市上京区)

たたりを恐れ供養
明治時代にも人々にたたりをもたらしたという土蜘蛛塚(京都市上京区・東向観音寺)
 菅原道真の怨霊(おんりょう)を鎮めるために創建されたという北野天満宮(京都市上京区)。その二の鳥居の西側にある東向観音寺のさくに囲われた一角に小さなほこらがある。その中には、石灯籠(とうろう)の火をともす所に当たる「火袋」に見えるこけむした石が収められている。それが妖怪「土蜘蛛(つちぐも)」にまつわる石だ。
 土蜘蛛は能の演目にもなっており、役者がクモの糸を次々と投げる場面はよく知られている。
 平家物語などによると、大江山の鬼退治で有名な源頼光が原因不明の病に侵され、床に伏せっていると、怪僧が枕元に立ってクモの糸を投げつけて襲いかかってきた。頼光が名刀「膝切(ひざきり)」で切りつけると、怪僧は傷を負って消えてしまう。騒ぎに気づいて駆けつける家来たち。あたりには血痕が残る。頼光と家来たちが館から西北の方角に点々と続く血の跡をたどっていくと大きな石のところで途絶えていた。その石をのけると、クモの精が現れて糸を吹きかけ襲い掛かり、激闘のあげく頼光らが討ち取ったという。
 もともと土蜘蛛が逃げ込んだ大きな石は頼光の館があったといわれる堀川一条周辺から西に約一キロの七本松一条、清和院西側にあったとされている。今では商業施設や住宅地の広がる地域だが、江戸時代中期の拾遺都名所図会には桃畑の中に描かれた巨大な石が「蜘蛛塚」と紹介されている。
 東向観音寺の「土蜘蛛塚」と命名された石は、明治時代に開発で「蜘蛛塚」が取り壊されたときの遺物。大石はなくなってしまったが塚を壊したときに石灯籠などが掘り起こされ、発掘した人が自宅の庭に飾ると、その家業は傾き家を売却。つづいてその石灯籠を手に入れた人の家もつぶれ、土蜘蛛ののろいと恐れられ、一九二四年、残っていた石灯籠の火袋部分が同寺に移された。土蜘蛛は、能や歌舞伎で演じると必ず雨が降るといわれるほど霊力の強い妖怪とされ、今でも時折、同寺に能や歌舞伎の役者がお参りに訪れるという。
 「なぜこの寺に移されたか記録は残っていませんが、怨霊を鎮める北野天満宮の境内にあることから奉納されたのでは」と上村法玄副住職(三八)。たたりや怨霊を恐れ供養することを大切にしていた日本人の風習が現代にも息づいている。
【メモ】東向観音寺は、洛陽三十三所観音霊場の第31番札所。本尊の十一面観世音菩薩(ぼさつ)像は菅原道真作という秘仏で次回の開帳は2027年。また境内には、子どもを抱いた姿の珍しい白衣観世音菩薩像を安置する白衣観音堂もあり子授けや安産祈願で有名。もともと蜘蛛塚があったという七本松一条周辺には、同霊場第33番札所の清和院が残るのみ。

【2007年3月15日掲載】

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