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(59)城屋の揚松明(舞鶴市)

炎を吐く大蛇の姿
天高く投げられた松明が幻想的な火のアーチをつくる「城屋の揚松明」(舞鶴市城屋・雨引神社)
 西舞鶴の市街地を南北にゆるやかに流れ、舞鶴湾に注ぐ高野川。河口から上流へ約六キロさかのぼると水分神を祭神とする雨引神社にたどり着く。毎年八月十四日、神社では「城屋の揚松明(あげたいまつ)」で知られる火祭りが奉納され、多くの見物客を魅了する。松明が天高く投げられ、暗闇の中に幾本もの火のアーチが浮き上がる光景は幻想的だ。
 神社のある城屋地区には、揚松明に関する約四百五十年前の伝承が残る。一五五六(弘治二)年、丹後守護の一色氏が統治していた時代、地区は家臣の森脇宗坡(そうは)が治めていた。宗坡の娘は隣村に嫁いだが、里帰りのため山中の日浦ケ谷を歩いていた時、突然、大蛇が現れ、アッという間に娘をのみこんでしまった。
 知らせを聞いた宗坡は弓とやりで敵討ちに向かう。炎を吐く大蛇を、死闘の末に退治すると、その体の長さは五丈三尺(約一六メートル)。三つに切断し、頭部を雨引神社、胴体を中之森神社(同市野村寺)、尾は尾森神社(同市高野由里)にそれぞれまつったとされる。
 祭りの日。深夜、高野川の清流で身を清めた氏子の青年たちは、神火を付けた小松明を大蛇の長さと同じ約十六メートルの大松明に向かって投げ、点火を競う。舞い上がった松明が夜空を焦がす様子は、大蛇が火を吐き出す姿とも、断末魔の姿ともいわれる。
 水不足に悩まされていた城屋では以前から雨ごいの儀式が行われていたが、大蛇を合祀(ごうし)した後、「揚松明」を奉納するようになった。それ以降は、干ばつに見舞われることが少なくなり、住民は今も神社を「蛇神さん」と呼んで親しんでいるという。
 地域の歴史に詳しい地元の片倉利彦さん(六一)は「実在した人物が伝説に登場するのは珍しい。真実はわからないが、娘を失った宗坡の思いが形を変えて語り継がれているのではないか」とする。
 松明の投げ役は地元の高校生から二十五歳の男性に限られるが、少子化で減少傾向にある。世話係を務める寺社総代の一人、竹内正夫さん(六九)は「地域が誇る大切な行事。都会に出た若者もこの日だけは戻ってくる。住民が協力し、民話とともに次世代に残していきたい」と願う。
【メモ】雨引神社はJR西舞鶴駅から徒歩約40分。「城屋の揚松明」は府の無形民俗文化財に指定されている。神社から高野川沿いに奥に進むと、大蛇が住んだという「蛇ケ池」や戦いの際に宗坡がやりを突いた跡といわれる「槍立石」が残る。問い合わせは舞鶴観光協会TEL0773(66)1024。

【2007年3月16日掲載】

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