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(60)弁慶の引き摺り鐘(大津市)

伝説物語る擦り傷
無数のすり傷やひび割れが残る弁慶の引き摺り鐘(大津市・園城寺)
 近江八景の一つ「三井の晩鐘」で知られる大津市の園城寺(三井寺)にはもう一つ、晩鐘のモデルにもなった有名な鐘がある。武蔵坊弁慶がつけたとされる擦り傷やひび割れが生々しく残る鐘は、境内の金堂の西にある霊鐘堂に安置され、伝説を物語る。
 正暦四(九九三)年、元は同じ天台宗だった延暦寺と園城寺が内部で対立し、二分した。鐘はその争いの中で、延暦寺側の僧兵だった弁慶が、戦利品として比叡山まで引き摺(ず)っていったとされる。だが、鐘をついてみると、関西弁で「帰りたい」の意味を表す「イノー(去のう)、イノー」と鳴り響いたため、弁慶は「そんなに帰りたければ帰るがよい」と怒って谷底に捨てた。鐘は傷ついたが、その後、放置されていた鐘を三井寺側が持ち帰り、安置したという。
 同寺の長老滋野敬淳さん(八二)は「弁慶が一人で持ち帰ったとは考えられないが、それほど弁慶の怪力が恐れられていた証拠ではないか」と解説する。
 また、寺によくない事が起こる時には鐘をついても鳴らず、いい事の場合は自然に鳴るとも伝えられる。同寺の戦国時代の記録「園城寺古記」には、文禄元(一五九二)年七月に鐘が鳴らなくなったため、心配した寺の僧侶らが、三十五日間にわたって護摩をたいて鳴るようになった、という記述も残る。
 伝説は古くから地元住民にも根付いていたようだ。
 戦後すぐから昭和四十年代ごろまでは地元の語り部が来訪者に説明していた。実際に聞いたことがある同寺の事務員平井貞男さん(八五)は「まだ観光客が少なく、訪れるのは近隣住民が多くて、十人ぐらいが集まって聞いていた。方言の大津弁を使ってリズミカルに語るので、思わず引き込まれた」と当時を懐かしむ。
 同寺の執事福家俊彦さん(四八)は「寺の宝物の中でも最古のもので、焼き打ちや領地の没収、再建など寺の歴史をすべて見てきた。寺にとっては言葉で表せないほど貴重」と話す。晩鐘と比べると確かに似ているが、すすけた感じや無数のへこみが歴史を思わせる。寺の「生き証人」は今も静かに参拝者を迎えている。
【メモ】鐘は10世紀前半、三上山でムカデ退治をした田原藤太秀郷が琵琶湖の龍神からお礼にもらい、園城寺に寄進したとされる。園城寺へは京阪石山坂本線の三井寺駅から徒歩10分。問い合わせは同寺TEL077(522)2238。

【2007年3月20日掲載】

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