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(64)冥界に通じる井戸(京都市東山区)

少し不気味 篁伝説
平安前期の参議・小野篁が冥界へ通うのに使ったという六道珍皇寺の井戸。普段は本堂脇の木戸の格子越しに見られる(京都市東山区)
 平安前期、閻魔(えんま)大王の右腕だった朝廷の高官がいた。参議の小野篁(おののたかむら)はある夜、亡き母が地獄で苦しむ姿を夢に見た。心配になり霊感のままに東山の六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)を訪れ、冥界(めいかい)に通じる井戸を見つけた。井戸に入って閻魔大王に会い、苦しむ母を極楽へ救い出した。
 以後、篁は日中は朝廷に仕え、夜は閻魔庁の冥官を務め裁判の弁護役となって罪人を救ったと「今昔物語集」などに伝えられる。「井戸」は京都市東山区の同寺本堂裏に今もひっそりと残る。
 篁は遣隋使の小野妹子の子孫で、生没年が八〇二−八五二年と明確な歴史上の人物。皇太子の家庭教師も務めた学者で歌人、一九〇センチの大柄な武人でもあった。遣唐副使に任ぜられた際、「もう唐から習うことはない」などと制度自体に反対し、正使とも争って嵯峨上皇の怒りをかった気骨の人。
 篁は隠岐へ流刑となったが、小倉百人一首にある「わたの原 八十島かけて こぎ出でぬと 人には告げよ あまのつり船」は、このときに詠んだ。隠岐では地蔵像を彫って日々を過ごし二年後に帰京、参議となった。
 坂井田良宏住職(六〇)は「篁は何でもできるスーパーヒーローとして敬われ恐れられた。信仰心も厚く慈悲深かったから、冥官伝説が生まれたのでは」と推測する。
 なぜこの井戸が冥界の入り口とされたのか。当時、東山のふもとには庶民の風葬地・鳥辺野(とりべの)があり、この地は「六道の辻」と呼ばれ、生死の境だと信じられていた。  篁は母の供養のため、寺の整備に私財を寄進し、同寺の中興開山としてまつられている。境内の閻魔堂には篁作とされる閻魔大王座像(平安前期)が篁立像(江戸期)と並んで安置されている。  同寺は八月七日から四日間、お盆に先祖の霊をまつる「六道まいり」を営み、多くの参詣者でにぎわう。近年は京の魔界・霊界スポットの一つにも数えられる。坂井田住職は「少し角度を変えて京を見てもらうのもいい」。少し不気味な冥界の井戸は、普段は板戸の格子越しにしか見られないが、それでも一目見ようと訪れる観光客は後を絶たない。
【メモ】六道珍皇寺TEL075(561)4129は、京都市東山区大和大路通四条下ル。市バス「清水道」下車徒歩5分。「六道さん」の名で親しまれ、お盆の8月7−10日は「六道まいり」でにぎわう。本堂裏の冥界の井戸、閻魔堂の閻魔大王座像、小野篁立像のいずれも通常は格子越しに拝観できる。境内は入場自由。

【2007年3月28日掲載】

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