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(66)生和神社の大蛇退治(野洲市)

領主に村人 感謝
藤原忠重が大蛇退治を祈願して建立したとされる春日神社社殿(右)と生和神社本殿。いずれも国の重要文化財(野洲市冨波乙)
 カエルが足を広げたように見える屋根の飾り「蟇股(かえるまた)」など中世様式の本殿で知られる野洲市冨波乙の生和(いくわ)神社。近くに小さな☆王井(ぎおい)川がさらさらと流れ、静かにたたずむが、神社には人さらいの大蛇を退治した勇ましい伝説が伝わっている。
 約一千年前の平安末期、藤原氏の荘園だった冨波之荘は沼や池が多く、中でも一番大きい沼「一の沢」に生息していた大蛇が夜な夜な村人をさらって困らせていた。
 当時、大和の国(奈良県)から来ていた領主の生和兵庫介藤原忠重が、大蛇退治を決意。氏神の春日大社(奈良市)をこの地に春日神社として分社して、願をかけた。
 その結果、矢で大蛇を見事に射ぬいて退治したが、自身も大蛇の吐いた毒で落命した。そんな忠重の徳をしのび、村人が春日神社の横に生和神社を建立したとされる。
 大蛇退治のいわれについて、生和神社宮司の今井穂積さん(七九)は「昔は池や沼の水害対策が進んでおらず、雨が降るたびにはんらんしたと聞く。忠重はそれらを田地に整備したことから、村人が感謝して伝説となったのでは」と推測する。
 こんなエピソードもある。一九六一(昭和三十六)年、第二室戸台風が神社を襲い、本殿は倒壊、拝殿も大きく傾いた。境内の大木も軒並み倒れたが、春日神社は被害を受けなかったという。「忠重の強い覚悟が守ったのかもしれない」と今井さんは笑って振り返る。
 神社周辺の同市冨波乙、冨波甲両地区ではいまも、忠重をしのぶ儀式が続いている。
 毎年一月十八日ごろ、神社をまつる講の氏子らが、わらで長さ約六メートル、直径約五十センチの大蛇を編み、要の木(カナメモチ)の枝で作った的をつけて弓矢で射る。儀式の後、わらは的をつけたまま、大蛇のいた「一の沢」があったといわれる狭い道の二本の柱に、しめ縄のようにつながれる。
 講の一員である竹内修さん(七九)=同市富波乙=は「子どものころ、あの場所は沼に面していた。今は埋め立てられて住宅になったが、蛇が出るから遊ぶなと大人は言っていた」と昔を懐かしむ。
 取材の帰り、わらの大蛇を見上げた。柱にくくりつけられたその姿に、脈々と受け継がれる地域のやさしさを見る思いがした。

【注】☆はネ偏に「氏」の下に「一」の字です。
【メモ】生和神社は、野洲市のJR野洲駅から循環バスで「生和神社前」下車、東約100メートル。藤原忠重が大蛇を退治したとされる1012年の建立で、本殿と春日神社の社殿は国の重要文化財。正月には約2万人の初詣で客が訪れる。

【2007年3月30日掲載】

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