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(67)能楽発祥の地(京都市東山区)

将軍前に猿楽舞う
「能」と刻まれた石碑。約六百三十年前、境内で観阿弥、世阿弥親子が猿楽を演じた(京都市東山区・新熊野神社)
 新(いま)熊野神社は一一六〇年、当時の最高権力者だった後白河上皇が平清盛に命じ、紀州の熊野権現を勧請して創建した。能楽の祖である観阿弥、世阿弥が「新熊野神事猿楽」と銘打ってこの神社で猿楽を披露したのは一三七四年。父子はそれまで、大和地方の結崎(現在の奈良県川西町結崎)で「結崎座」を結成し、猿楽を演じていた。
 当時はまだ藤若丸と称していた十二歳の世阿弥は、旧来のしきたりにとらわれず、見事に「翁」を舞った。初めて猿楽を見物した室町幕府三代将軍の足利義満は二人の至芸に感激して父子を同朋衆に加え、観阿弥、世阿弥と名乗らせた。
 将軍の援助と寵(ちょう)愛を受けた世阿弥は、父の志を継ぎ、猿楽の芸術性を高めるため研究を重ねた。猿楽はやがて能楽へと磨きあげられ、室町幕府の儀式に用いられる式楽として採用された。
 以来、新熊野神社は芸能上達の神として知られるようになった。境内には、全国の謡曲の舞台となった場所の保存を進める謡曲史跡保存会が「能楽大成、機縁の地」と記した説明板が立つ。
 「能」の文字が刻まれた石碑もある。一九八〇年、能楽の発展を祈願して建立された。「能」の文字は世阿弥の直筆で、著書「花鏡」の中から選ばれた。隣に立つ碑文には歴史学者で京都大名誉教授の故林屋辰三郎さんの名が刻まれている。
 父子が猿楽を演じた当時、新熊野神社の境内は現在の何倍も広かったため、実際にどこで舞ったのかは定かでない。世阿弥が著した「花伝書」には「新熊野」と記されているだけだ。
 尾竹慶久宮司(五六)は「今熊野地域には、新日吉神宮と今熊野観音寺もあり、以前はそれぞれ能楽発祥の地と主張して論争があったそうです。論争に決着をつけたのが、室町時代を中心とする町衆の研究に携わった林屋さんだったと聞いています」と説明する。
 現在は京都府内だけでなく、東京からも日本舞踊や演劇、バレエに励む人々が、能面をあしらったお守りを買いに訪れる。尾竹宮司は「お参りする人からよく『能舞台の跡はどこですか』と尋ねられますが、舞台はありません。当時の猿楽は今でいう大道芸に近く、舞台を必要としなかったはずですから」と話す。
【メモ】新熊野神社は京都市東山区今熊野椥ノ森町42。TEL075(561)4892。京阪電鉄七条駅から東へ徒歩10分。境内には、創建当時、後白河上皇が熊野から移植したと伝わる樹齢約900年のクスノキがある。毎年10月15日には「大樟祭」が営まれ、優雅な舞楽が奉納される。

【2007年4月3日掲載】

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