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(70)比良八荒(大津市)

娘の無念、強風に
琵琶湖に突き出た浮御堂。冬に比良山系から吹き下ろす比良八荒で波が高くなることもある(大津市堅田1丁目)
 ほら貝の勇壮な音色を響かせながら、山伏姿の修験者らが、大津市内の中心部から湖岸に向かって練り歩く。大津港にたどり着くと、僧侶らが琵琶湖に向かって厳かに法要を始めた。
 水難者供養と湖上の安全を祈願する恒例行事「比良八講」が今年も三月二十六日に開かれた。「比良八荒、荒れじまい」と言われるように、強風で湖が荒れるのもこの時季が最後で、それから本格的な春になるといわれているが、この比良八荒にまつわる悲しい民話がある。
 昔、比叡山の若い修行僧が、草津へ托鉢(たくはつ)に出かけた際、ある民家に滞在した。民家には娘がおり、修行僧を一目で好きになったが、僧は修行があるため帰らなければならない。僧への思いを断ち切れない娘に若い僧は、「修行をしている堅田の浮御堂まで百日間通い続けることができたなら、夫婦になろう」と言い残して去った。
 娘は、その日から毎晩、対岸の浮御堂を目指して、たらいを船にして通い始めた。九十九夜通い続け、いよいよ満願の百日目の夜。満願を恐れた修行僧は灯明を吹き消した。明かりが見えない娘は悲しみ、小さなたらいの船は娘もろとも湖に沈んでしまったという。
 毎年この時季、比良の山から吹きおろす強風は、娘の無念によるものという。この民話は、大津だけでなく草津や守山などにも伝わり、娘の名は「おみつ」「おいさ」などいくつかの説があり、琵琶湖にすむ魚の一つ「イサダ」(イサザ)は娘の化身ともいわれている。
 大津市堅田一丁目にある浮御堂(満月寺)で生まれ育った荒井秀さん(七二)は「寺には比良八荒にまつわる文献も石碑もないが、広く知られた民話で、訪れた観光客に時々尋ねられることもある」と話す。
 比良八講の行事では、ぼんぼりを持った稚児娘も行列に参加する。灯明を目指して、たらい船をこぎ出した娘を慰める願いが込められている。
 比良八講近江舞子の会の平出直厚会長(五〇)=大津市南小松=は「たらいの船で百日も琵琶湖を渡った娘の情熱の強さを感じる民話。悲しい物語だが、比良八講の行事とともに大切にしていきたい」としている。
【メモ】比良八講は、平安時代から延暦寺の僧侶が比叡山の山中で行っていた法要で、戦国時代に途絶えたとされる。1955年に、千日回峰行を満行した故箱崎文応・大阿闍梨(あじゃり)が復興し、毎年3月26日に行われている。浮御堂は、JR堅田駅からバスで約10分、徒歩で約30分。

【2007年4月6日掲載】

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