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(73)説法石(向日市向日町)

法華経広める礎に
参道入り口の石囲いの中に安置された「説法石」(向日市向日町)
 乙訓地域の桜の名所で知られる向日市向日町の向日神社は今、散りそめの桜をめでる市民らでにぎわう。その西国街道沿いの参道入り口の左側に、一メートルほどの高さにかさ上げした石の囲いの中に大きな岩「説法石」が鎮座していることに気づく人は意外と少ない。
 向日市史や乙訓郡誌などによると、今からおよそ六百九十年前の鎌倉時代の末期に、日蓮宗の開祖である日蓮の孫弟子にあたる日像上人は、関東で誕生した法華経を都で広めようと辻(つじ)説法を行っていたが、天台宗の僧侶らのねたみをかい三度にわたって都を追われた。
 西へと向かう道中で、向日神社に立ち寄ったが、そこに二羽の白いハトが飛んできて、日像の衣のすそをくわえて離さなかった。そうするうちに、鶏冠井村のお年寄りが日像に教えを請うた。
 日像は、後に「説法石」と名付けられる木陰の石に腰を下ろして説教し、おそらくお年寄りの心をとらえたのだろう。評判を聞いて、村人が次々と日像を訪ねる。日像は熱心に仏の道を説き、法華経の信者はどんどん増えていったとされる。
 いち早く改宗した人の家に日像が立ち寄った時、炊事場の湯気に「南無妙法蓮華経」の題目が浮かんだ。それを見た村人は歓喜のあまり、野良着のまま踊り出したという。それが、「鶏冠井題目踊り」として伝わる。この踊りは毎年五月に地元の石塔寺で奉納され、府の無形民俗文化財の指定を受ける。
 市文化資料館は「説法石での説教や題目踊りの由来は口伝(くでん)。日蓮宗は宗派の中で唯一、関東で生まれ日蓮が東北を中心に布教した。その小さな宗派を都で布教し、その後に発展するきっかけをつくったのは日像。その貢献は宗派にとって極めて多大だった」という。
 同神社によると、日像が説法に使ったとされる岩は当初、参道の中間にあったが廃仏棄釈の際に神社から出され、その後に一番大きな横約一・五メートル、幅約七〇センチ、厚さ約五〇センチの岩が今の場所に安置された。
 神社の六人部(むとべ)是継宮司は「説法石は、代々にわたってお供えをする方がいるなど、今も信仰の対象。その方々とも相談して、これからも受け継がれるよう分かりよい説明板を設けたい」と話している。
【メモ】向日神社は718年創建の式内社で、住民から「明神さん」の名前で親しまれる。「説法石」は3個に分かれ、残る2個は参道右側の石組みの中に置かれている。その参道は、まもなく新緑で覆われる。阪急・西向日駅から、北西に約500メートルで、徒歩約10分。問い合わせは、市文化資料館TEL075(931)1182。

【2007年4月12日掲載】

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