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(74)八坂庚申堂・金剛寺(京都市東山区)

くくり猿 今も人気
春の観光客でにぎわう境内。庚申信仰などの民間習俗で市民に親しまれている(京都市東山区・八坂庚申堂)
 京都市東山区にそびえる五重の塔の西南側に、「サルの寺」として親しまれる八坂庚申堂・金剛寺がある。開基は平安時代に多くの伝説を残した僧侶、浄蔵貴所。この地でも、傾いた五重の塔を元に戻したとする言い伝えを残している。
 浄蔵は八九一(寛平三)年、貴族の三善清行の子として生まれ、七歳で出家。絶大な法力を持つ僧侶として、怨霊(おんりょう)となった菅原道真の調伏、死去した父を生き返らせた「一条戻り橋」などの逸話で知られる。法力の強大さゆえに、天皇からは、妻をめとり、子々孫々を残すことを命ぜられたともいう。
 晩年の大仕事が、傾いた法観寺・五重の塔「八坂の塔」を正すことだった。法力を発揮するため、加持祈祷(きとう)を行うのに選んだのが、現在、八坂庚申堂が建つ場所だった。ただ、この時すでに六十二歳。浄蔵は子ども二人の力を借りることにし膝上に二人を乗せて祈った。
 すると、雲行きが変わり、風が吹き付け、鴨川が逆流。ところが、八坂の塔は傾いたままで、祈りを終えた浄蔵らはそのまま去ってしまった。見守る大勢の庶民はいぶかしげな様子だったが、翌朝になると、八坂の塔は元通りになっていたという。
 「渡来人で建築技術を持った秦一族の協力で修復したのではないか」。住職の奥村真永さん(四八)は、逸話をこう解釈する。浄蔵は貴族出身のため、宮廷サロンのつながりがあり、秦氏との交流があったとみる。真相は浄蔵が加持祈祷を行う一方で、秦氏が建物を手直ししたと推測する。八坂庚申堂の本尊は秦氏の守り本尊「青面金剛」だが、「その縁で仏様を招来し寺が建ったのではないか」と話す。
 その後の寺は、六十日ごとに巡る庚申(かのえさる)の日、寝ずに夜を明かして長寿を願う庚申信仰、下着を祈祷して失禁を防ぐ「タレコ封じ」など、民間習俗の寺院として広く親しまれている。庚申のサルの語呂合わせからか、生まれたお守り「くくり猿」は今も昔も人気を集める。
 サルが手足をくくったような姿で、本願成就のためには欲望を抑えて心と行動を戒める大切さを説く。「浄蔵さんにはなれないかもしれないが、庚申の使いであるくくり猿を持つことで、自分を律せられる良い人になる一助になれば」と奥村さんは願いを込める。
【メモ】八坂庚申堂は京都市東山区金園町。TEL075(541)2565。市バス「清水道」停留所から東へ徒歩5分。庚申行事が年6回あり、病気や願い事を封じ込める「コンニャク炊き」などを実施。5月3日はタレコ封じを行う。

【2007年4月13日掲載】

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