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(75)源内塚(守山市)

首塚転じ薬師堂に
石仏の前に置かれた球状の石。願い事がかなう時は軽くなるといわれる(守山市・源内塚)
 民家や商店が立ち並ぶ守山市の中心市街地に、石仏の薬師如来をまつる小さなお堂がある。旧中山道の北を通る細い路地にあるため人目に付きにくいが、地元では「お薬師さん」と親しまれ、病気治癒を願う人々が毎日参拝に訪れている。
 この薬師堂は、平安末期の地侍の首塚に建てられているともいわれる。地侍の名は源内兵衛真弘(げんないひょうえさねひろ)。そこから「源内塚」とも呼ばれている。
 話は一一五九(平治元)年にさかのぼる。軍記物語「平治物語」によると、源氏の敗北で終わった平治の乱直後の同年十二月二十七日深夜、「森山の宿」(現在の守山)の地侍源内は、京からただ一騎落ち延びてきた源頼朝を見つけた。当時十三歳だったといわれる源氏の嫡子を討ち取ろうとしたが、頼朝に源氏の宝刀「髭切(ひげきり)」を抜かれ、逆に首をはねられてしまった。
 源内を哀れんだ村人たちが亡きがらを埋葬し、塚を作って供養したという。
 現在、薬師堂には薬師如来など数体の石仏と並べて、源内を供養する石仏が安置されている。同市文化財保護課は「首塚と薬師堂は当初は別々にあり、いつしか融合して一つになったのだろう」と推測する。
 源内を供養する石仏の前に、直径二十センチほどの「丸石」が置かれている。願い事をした後に持ち上げて、石が軽ければ願い事が実現し、重くて動かなければ願いはかなわない、と信仰を集めている。
 かつて源内塚の近くに住んでいた川端美臣さん(六三)は三十年ほど前、目の病気で失明しかけていた。病が治るかどうかを石に問い掛け、覚悟を決めて持ち上げると、石がフワッと上がった。「あまりの軽さにびっくりした」と振り返る。
 また、母親が薬師堂に毎日参拝していたという中村清子さん(九一)は、「十六歳の時、母が私の受験の合格を祈願すると、石が軽々と持ち上がった」と話す。願書締め切りの一週間前に受験を決断し、競争率も四倍だったが、占いの結果の通り志望校に合格した。
 文化財保護課によると石の重量はおよそ九キロ。何も考えずに持ち上げたら、それほど重くはなかった。「大切なのは重さではなく、信じる心」。川端さんの言葉を思い出した。
【メモ】「源内塚」に建っているといわれる薬師堂は、守山市守山2丁目の旧中山道の北側にある。薬師如来の縁日の毎月8日には、多くの参拝者が訪れる。JR守山駅から北へ徒歩約10分。問い合わせは天台宗東門院TEL077(582)2193。

【2007年4月17日掲載】

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