京都新聞TOP > 観光アーカイブ >ふるさと昔語り
インデックス

(76)室町六角の鯉山(京都市中京区)

きずなの深さ 誇り
呉服問屋が立ち並ぶ鯉山町。マンションの新住民にも昔話は受け継がれている(京都市中京区室町通六角下ル)
 呉服問屋が並ぶ京都市中京区の室町通。六角通−蛸薬師通にはさまれた鯉山町は、名工の左甚五郎が彫刻を手がけた祇園祭の鯉山で知られる。
 鯉山の由来は中国の故事「登竜門」にちなむ。「黄河の激流でコイが滝を上り、竜になった」との伝えから、出世開運を願っている。だが、ほかにも、地元住民が好んで口にする昔話がある。
 昔、室町六角に正直な男と曲がったことが大嫌いな大家がいた。ある日、大家が用事で大津へ行っての帰り、小判三枚を懐に琵琶湖の渡し船に乗ったが、過って小判を湖に落としてしまう。京に戻った大家は一部始終を正直者の男に打ち明ける。
 数日後、大津から川魚屋がやって来て、男はコイを買い求める。包丁を入れると、なんと腹から小判三枚が出てきた。男はすぐに大家のもとへ。しかし大家は「小判はコイを買うた者のものや」と受け取らない。男も「落とした小判に違いない」と譲らない。
 困り果てた二人がお役人に相談すると、お役人は「その小判でコイを彫ってもらい、祇園祭の山にしたら」と提案する。二人は喜び、近くに住む左甚五郎が見事なコイをこしらえたという。
 「昔は、近所のおじさんから『正直者が多い町なんやで』とこの話をよく聞かされたもんです」と町内会長の浅見儀明さん(五九)。仲むつまじい長屋の人たちが登場する物語は、子どもたちの心にすっと染み込み、幾世代も受け継がれてきた。
 しかし、二十年ほど前から和装の不振などで鯉山町の人口は急減。子どもの姿は消え、昔話が語られることもなくなった。それが変わったのが九年前。大型マンションが完成し、再び子どもの笑い声が響き始めた。
 浅見さんたちは祇園祭や地蔵盆で子どもたちに昔話を語り聞かせた。鯉山にまつわる物語に、小さなひとみは輝き、親たちも「町内に昔話があるなんて」と驚いた。そんな家族たちが今では新しい町衆として祇園祭の担い手に育っている。
 春になり、町内では祇園祭の縁起物「茅(ち)の輪」作りが始まった。「人のきずなの深さも鯉山も町内の誇り。両方を伝える昔話を途絶えることなく将来に語り継ぎたい」と浅見さんは話す。
【メモ】かつては「常楽寺一丁目」と呼ばれていたが、毎年祇園祭で鯉山を出す町として定着、16世紀末期に正式に鯉山町となった。鯉山を飾るタペストリーは「トロイ戦争」をモチーフにしたベルギー産で重要文化財に指定されている。

【2007年4月18日掲載】

各ページの記事・写真は転用を禁じます。著作権は京都新聞社に帰属します
ネットワーク上の著作権について 新聞・通信社が発信する情報をご利用の皆様に(日本新聞協会)
電子メディアおよび関連事業における個人情報の取り扱いについて
京都新聞TOPへ