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(77)本隆寺(京都市上京区)

松の木 夜泣き治す
子どもの夜泣きが治ると伝わる松。今も本堂の脇でしっかりと根を張っている(京都市上京区・本隆寺)
 京都市上京区の西陣の一角にある本隆寺。かつて大火に見舞われるも、本堂や祖師堂は難を免れたことから「不焼寺」の異名を持つ。創建時のままの姿を残す本堂の東には「夜泣き止めの松」が根を張る。「資料のない言い伝えです」。寺の本多信正執事長(五七)は記憶をたどりながら松にまつわる逸話を語った。
 本隆寺第五世・日諦(にったい)上人がまだ修行中の身だった一五三二年元日。本堂で経を黙読していた日諦は、乳児を抱いて涙を流す母親を境内に見つけた。その後、何度も姿を現した母親はある日、乳児の養育を日諦に依頼してその場を去ってしまった。
 日諦は預かった子どもを仏門に入れて弟子として育てた。だが、母親がいないためか子どもの夜泣きがひどかった。困った日諦は、経を唱えながら本堂脇の松の木を回ると、子どもは不思議と泣きやんで、すやすや眠りについたという。
 この話を聞いた夜泣きに悩む母親たちは、その力にあやかろうと松の葉や皮を持ち帰っては子どもの枕元に敷いた。すると、ぴたりと夜泣きが治った。たちまち町の評判になり、「夜泣き止めの松」と呼ばれるようになったという。
 奇妙ないきさつで日諦が預かった子どもは後に七世・日脩(にっしゅう)上人となって寺の繁栄に尽くしたとされる。だが、松の言い伝えと日脩を結びつける資料は見当たらないという。
 寺の歴史を記した「法華宗真門年表」には、日脩は一五二四年に生まれ、三十四年後に第七世になったと記されている。ただ、生い立ちや母親などの記録はない。本多執事長は「かつて多くの母親が貧しく子に十分な乳を与えてやれなかった。そんな時代背景を反映しているのかもしれない」と話す。
 現在、寺に残る松は高さ約六メートル、幹回り約七十センチとそれほど大きくはなく、三代目とも言われている。多くの人が葉や樹皮を持ち帰ったため一、二代目は枯死してしまったのかもしれない。
 夜泣きが治るのかその効き目は不明だ。ただ、約十五年前、本多執事長の所に「子どもの夜泣きが治った」とわざわざ礼に来た若い女性が一人だけいたという。
【メモ】法華宗真門流総本山の本隆寺は京都市上京区智恵光院通五辻上ル、TEL075(441)5762。市バスの今出川大宮のバス停から徒歩約5分。本堂と祖師堂は府指定有形文化財。尼僧がさとりを開くきっかけとなったほか、本堂を大火から守ったともいわれる井戸「千代の井」も有名。

【2007年4月19日掲載】

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