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(81)将軍塚(京都市東山区)

大事知らせ”鳴動“
平安京の安寧を願ってつくられた将軍塚。塚の向こうには京都のまちが広がる(京都市東山区粟田口)
 京都盆地を一望する東山の頂にある将軍塚。京が三方を山に囲まれていることを実感できる風景が広がるが、国の一大事の兆しがあれば「鳴動する」と伝えられてきた場所でもある。
 由来は平安京の始まりまでさかのぼる。桓武天皇は平城京から長岡に都を移したが、不慮の事故が続いた。ある日、側近の和気清麻呂(わけのきよまろ)が「狩り」をしようと天皇をこの地に誘い「この場所こそ都にふさわしい」と進言した。天皇は清麻呂の言葉を聞き入れ、平安遷都を決意したと伝えられる。
 その際、長く都が守られるよう祈りを込めて、北、東、西の三方の山に約二十メートル四方の塚をつくったとされる。高さ二・五メートルほどの土製の部将の像に甲胄(かっちゅう)を着せ、弓矢を持たせて埋めた。現存するのは現在の将軍塚だけで、今は青蓮院の飛び地境内。造営の様子は平安時代に成立した「鳥羽僧正絵巻」に描かれ、青蓮院の東伏見慈晃門主(六四)は「絵巻には像を埋めた図がある。非常に由緒ある記述であり、場所です」。
 都の安泰を祈ってつくられた将軍塚は、異変が起こりそうになれば鳴動した。源氏と平家の興亡を描いた軍記「源平盛衰記」に記録が残る。
 一一七九(治承三)年七月のこと。まさに源頼朝が平家に反旗を翻し、挙兵する前年。青空がたちまち曇り、人の顔さえ見えないほど暗くなり将軍塚が三度、鳴動し、空に兵や馬の駆ける音が聞こえたという。室町幕府成立前後の軍記「太平記」でも鳴動の記述がある。いずれも京の都を揺るがす一大事だった。
 以降、現在まで鳴動した言い伝えはない。くしくも青蓮院の本尊は、天変地異を鎮めるとされる「熾盛光(しじょうこう)如来」。東伏見門主は「世界中が事変といわれるが、まだ仏様の目には大きなことではないともいえるのでしょう」と穏やかに話す。
 桓武天皇や和気清麻呂が新たな都づくりに思いをはせた地。「都を移す場所にしようと考えた思いが伝わってきます。文化に根差した心のよりどころにしたい」と同門主。座禅体験などを通じて精神的に安らぐ場所にと思いを巡らす。世界の情勢は不安定で自然災害への恐れは増す現代。「平穏であってほしい」。目指す理想へ、願いは切実だ。
【メモ】将軍塚は「東山ドライブウェー」の京都市営展望台の先にある。タクシー、または京都市地下鉄東西線蹴上駅から徒歩30分。4月27日−5月6日まで庭園ライトアップが行われる。問い合わせは青蓮院将軍塚大日堂TEL075(771)0390。

【2007年4月26日掲載】

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