京都新聞TOP > 観光アーカイブ >ふるさと昔語り
インデックス

(83)明石の玉石(京都府与謝野町明石)

“境界”への畏怖
中世から境界を示し続けたと伝わる「明石の玉石」(京都府与謝野町明石)
 京都府与謝野町明石の国道176号から東に分かれる旧道を入ってすぐ、小高い丘を削り取った道路脇に一メートルほどの大きさの石が鎮座している。
 天然石とは思えぬ丸みを帯びたこの石は「明石(あけし)の玉石(たまいし)」と呼ばれ、不思議な存在感を漂わせている。
 同町明石には玉石付近に玉峠、玉石という小字があり、小高い丘を通る道はかつては峠道で、玉石には特別な意味があることを示している。
 近くに住む吉田一さん(七六)は「昔は玉石のあたりは人里離れた山道で、一人で歩くのは心細かったはず。夜は旅人が光り輝く玉石を目標に歩いたという言い伝えがある」と話す。
 旧道東側の山手には八十年ほど前まで使われた山道があり、路傍には庚申(こうしん)堂や、玉石を祭る玉石観音が納まるほこらがある。「詳しい経緯は分からないが、地元では由緒のある石といわれている」と吉田さん。
 玉石のすぐ北には、大字の明石と大字の石川の境がある。そこは二○○六年春に合併で与謝野町が誕生するまでは、旧加悦町(明石)と旧野田川町(石川)の町境。中世までさかのぼると、大石庄と石川庄という荘園の境だったという。同町教委の佐藤晃一主幹(五二)は「民衆の習俗など時代背景からみても、玉石は、中世の荘園の境界を示す石だった可能性がある」という。
 峠の語源は、通行の安全を祈って行った「たむけ(手向け)」。また、村や集落で生活が完結していた時代、その境を越えることには多くの危険が伴った。これらを踏まえ、佐藤主幹は「かつて峠や村、集落の境などは異なる世界との境界として特別な意味があり、玉石は畏怖(いふ)の表れではないか」と指摘する。
 玉石は、約八十年前に山道の下にできた現在の旧道の工事によって道下の土手に動かされ、そのまま草に埋もれてしまった。それを一九八○年前後に、吉田さんら地元の人がもとあった場所の近くに据え直した。
 その後、旧加悦町は町指定文化財に準じた扱いで案内の立て札を設置した。吉田さんは「道や地形は変わったが、玉石は地名にもなっている地域の象徴」と話す。
【メモ】玉石は花こう岩。丸い石は山には少ないことから、川から峠まで運ばれてきたと考えられている。玉石の約600メートル南の路傍には、集落の南の入り口を示す道標と地蔵がある。明石という大字名も玉石との関連が指摘されている。KTR(北近畿タンゴ鉄道)野田川駅から車で約15分。

【2007年5月2日掲載】

各ページの記事・写真は転用を禁じます。著作権は京都新聞社に帰属します
ネットワーク上の著作権について 新聞・通信社が発信する情報をご利用の皆様に(日本新聞協会)
電子メディアおよび関連事業における個人情報の取り扱いについて
京都新聞TOPへ