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(88)恋塚(京都市南区・伏見区)

袈裟御前の心伝え
孝と義を貫いた袈裟御前の遺骨が納められているとされる恋塚寺(伏見区)の恋塚
 平安時代末期、母への孝と夫への義、それぞれを貫くため、己の命を犠牲にした女性、袈裟御前(けさごぜん)の物語は、「源平盛衰記」(鎌倉時代)など、時を超えて人々の心を引きつけてきた。
 鳥羽の若い武士、遠藤盛遠は、渡辺渡の妻袈裟に横恋慕し、袈裟の母衣川に袈裟との密会を求める。袈裟は母も夫も裏切ることはできず、「濡(ぬ)れた髪を探って殺したまえ」と盛遠をだまして夜討ちに招き入れ、自らが濡れた髪で首をはねられる。盛遠は自らの罪業を悔い、出家して文覚となって全国を回る。神護寺の再興に奔走し、伊豆で出会った頼朝に挙兵をうながす。
 袈裟の骨を納めた恋塚が、京都市南部の鴨川をはさむ上鳥羽と下鳥羽の二つの寺に伝えられている。それぞれ国道1号の西、旧道に面して寺があり、歴史愛好家や物語を演じる役者のほか、小説などで袈裟御前を知った若者たちが訪れ、恋塚の前で静かに手をあわせる。
 上鳥羽の恋塚は、「六地蔵めぐり」の鳥羽地蔵で知られる浄禅寺(南区上鳥羽岩ノ本町)にある。通りに面して、袈裟にちなむ「激揚貞風」の大きな石碑が立ち、その奥で、五輪塔と風雨をさけるためにガラスケースに入れられた石碑が木々に囲まれている。
 「袈裟御前の物語は古くから庶民に親しまれていて、江戸時代から寺を訪れる人も多く、絵地図にも記されています。明治の文人たちは袈裟を『貞女の鑑(かがみ)』として寺で句会や歌会もしたと聞いています」と林田隆正住職(七〇)。
 下鳥羽の恋塚寺(伏見区下鳥羽城ノ越町)の恋塚の塔は、文覚が眠る高雄を向く。鳥羽伏見の戦(一八六八年)で焼失した寺を再建する際、地域の人々が北西に向けたという。
 「こいづかさんと呼ばれるほど、地域の人たちから塚は大切にされてきました」と安藤和彦住職(六〇)。「袈裟が身をもって示した、決して変えてはいけない心。文覚の生涯からわかる、やり直すことの大切さ。それぞれの生き方に、時代を超えて私たち訴えるものがあるのでしょう」という。
【メモ】袈裟御前の物語は、浄瑠璃「鳥羽恋塚物語」(近松門左衛門)、小説「袈裟と盛遠」(芥川龍之介)、映画「地獄門」(黒澤明)などでも取り上げられた。
 恋塚寺(伏見区)は、縁起石碑に、天養元(1144)年に文覚が開いたとある。かやぶきの山門から降りると、恋塚や石碑がある。本堂には文覚、袈裟、渡の木像が置かれている。浄禅寺(恋塚浄禅寺、南区)は、寺伝より寿永元(1182)年に文覚が開いたとされる。冥土から帰った小野篁が刻んだという6体の地蔵の1体が地蔵堂に納められている。

【2007年5月11日掲載】

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