京都新聞TOP > 観光アーカイブ >ふるさと昔語り
インデックス

(94)夜叉婆さん伝説(城陽市寺田)

花嫁をのろう悲劇
「玉池」。伝承によっては、娘が恐ろしい「夜叉」の姿に変わり果てた自分を見て、身を投げたとも伝えられている(城陽市寺田)
 「花嫁行列だけは決して通ってはならぬ」と周辺の旧家が言い伝えてきた辻が、城陽市寺田の旧大和街道にある。角にある市の案内板はここを「夜叉(やしゃ)婆さん伝説の地」と記す。明治時代に地元の郷土史家がまとめた「観音町沿革史」には、謎の伝説が記されている。
 昔、寺田村の庄屋に娘がいた。たびたび嫁いだが不縁になり、実家に戻ってきた。人々はやがて娘を「夜叉」と呼んだ。のちに、娘は観音堂の堂守となり、ついにそこで亡くなった。娘の塚の前を嫁入り行列が通ると夜叉が不縁にするといい、以後、一度も行列が通ることはなかった。
 辻は戦前までは実際に花嫁行列が避けて通った。そばには夜叉と呼ばれたことを嘆いて身を投げたとされる玉池があり、一八八〇年までは観音寺(堂)も実在した。娘の墓とされる「夜叉塚」も現存し、伝説を裏付ける。だが肝心な点に謎が残る。
 「娘はなぜ何度も離縁したか?」だ。伝説には実は内容がまちまちの複数の伝承がある。▽娘は美しかったが気も強かった▽顔が醜かった−などだ。中でも、小学校の教諭たちが古老から聞き取りを重ね、七九年にまとめた冊子「みんなの城陽市」は興味深い。
 娘は美しく、賢く、働き者だった。だが、「田の水は三日に一度抜いたほうがいい」としゅうとめに言うと怒りを買い、帰された。次の嫁ぎ先では、田に急ぐあまり道で夫を追い越し、「女のくせに」と離縁された。
 冊子は「十三回嫁入りした」とし、離縁の理由をそれぞれ「大声で歯を出して笑った」「朝食を家に上がって食べた」「漢字が読めて薄気味悪かった」などと記す。
 城陽の昔話を研究する太田堯信さん(六六)=城陽市久世=は「伝える人の主観が入っているのだろう。『女は土間で食べる』など当時の嫁に対する見方が反映している」と考える。もしそうなら、伝説は時代に合わなかった積極的な女性の悲劇にも思えてくる。
 伝説には後日談がある。九〇年代半ば、辻近くの木のこぶが人の顔に見え、「夜叉ばあさんの人面木」と話題になった。夜に見ると確かに怖い。悲しい話である。「のろい」のせいとは思いたくないが…。
【メモ】辻は城陽市寺田水度坂、高田、袋尻の境界線上、水度神社参道の入り口にある。夜叉塚はかつては辻のそばにあったが移転し、現在は約200メートル南東の寺田墓地内、休憩所のそばに。人面木は目立たないが、辻の北東角にある。問い合わせは城陽市観光協会TEL0774(56)4029。

【2007年5月23日掲載】

各ページの記事・写真は転用を禁じます。著作権は京都新聞社に帰属します
ネットワーク上の著作権について 新聞・通信社が発信する情報をご利用の皆様に(日本新聞協会)
電子メディアおよび関連事業における個人情報の取り扱いについて
京都新聞TOPへ