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(99)土佐稲荷(京都市中京区)

龍馬も気安く参拝
坂本龍馬も訪れたと伝わる「土佐稲荷」(京都市中京区)
 慶応三(一八六七)年十一月十五日夜、幕末の志士坂本龍馬は、盟友の中岡慎太郎とともに、隠れ家にしていた河原町通蛸薬師上ルのしょうゆ商「近江屋」の二階で暗殺された。近江屋跡は現在、碑が立つのみだが、碑から蛸薬師通を東に進むと、当時の面影をしのばせる小さな稲荷がある。
 夜は鳥居の堤灯が赤くともる。江戸時代には、現在の場所から数十メートル南の土佐藩邸の中にあり、土佐稲荷と名付けられた。それ以前は鴨川の中州にあったと伝えられていることから、「岬神社」とも呼ばれる。
 土佐藩邸内にあった稲荷は、地域の住人にも開放され、あつい信仰に守られていた。明治維新後、藩邸が売られ、小学校が建つとともに、稲荷は現在の場所に移された。  稲荷を守っていた崇敬会も、いったん消滅していたが、十五年ほど前に再興され、六代目「近江屋」店主の故井口新助さんが会長に就任した。
 稲荷が藩邸の中にあったことから、土佐出身の龍馬も訪れやすかったのだろう。井口さんの後を継いで崇敬会会長を務める岩井惇司さん(六三)は「龍馬も近江屋さんから先斗町へ遊びに行く際に稲荷へ立ち寄ったみたいです。土佐の志士たちとの密談場所にも使ったんとちがいますか」と話す。
 土佐稲荷には龍馬のブロンズ像がある。いたずらや雨風の影響で頭部は崩れ、腕も取れ、無惨な姿をさらしている。過去には「作り直すなら寄付を出す」という篤信家もいたが、売名行為に映ったら双方に良くないと判断して断ったという。
 五十年前から近所で暮らす崇敬会会員の宇治田フミさん(九〇)は「稲荷は昔、子どもの遊び場だった。今は周辺にビルばかり建って子どもがいなくなった」と残念がる。
 約十メートル四方の中に鳥居とほこらがあるだけの小さな稲荷に詰まった幕末ロマンに気付かず、通り過ぎる観光客も多い。
 たまたま立ち寄った大阪市中央区の築山敬志朗さん(六六)、悦子さん(六三)夫妻は、由来などを記した案内板に目を細めた。「こんな小さなお稲荷さんが歴史上の人物と関係あるなんて京都らしい」。京都の奥深さに驚き、ほこらの前で手を合わせていた。
【メモ】土佐稲荷は、京都市中京区蛸薬師通河原町東入ル。四条河原町の交差点から徒歩約5分。ほこらに奉納しているみこしは、祇園祭の後祭りの花笠(はながさ)巡行で子どもたちが担ぐ。鳥居の堤灯は毎夜、灯がともされる。八坂神社の宮司が稲荷の宮司を兼ね、年4回、稲荷で祭りが行われる。

【2007年5月31日掲載】

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