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(100)石峰寺(京都市伏見区)

若冲の壮大な羅漢
絵一枚を米一斗と換えていたという若冲。墓には「斗米庵」と刻まれている(京都市伏見区・石峰寺)
 江戸時代中期の画家伊藤若冲(一七一六−一八〇〇)は、京都市伏見区深草にある黄檗宗の禅寺石峰寺を終(つい)のすみかとした。自らデザインした、五百羅漢石仏の近くに、今も眠っている。
 墓前に一本の細筆があった。「こういうことがよくある」と、阪田良介住職(二七)は言う。花に野菜、時には大根がごろりと供えてあった。ふたまた大根が、入寂の釈迦(しゃか)のように中央に横たわり、その周囲でさまざまな野菜や果物が嘆き悲しむ様子を描いた、有名な野菜の涅槃(ねはん)図にかけたのだろうか。墓石の後ろには、いくつかの卒塔婆。九月十日の若冲忌の法要に集う人たちによるものだ。
 その日、石峰寺は、所蔵の若冲の掛け軸を公開する。阪田住職は「しまい込んでいるより、皆さんに見てもらいたい。若冲さんの思いにも通じるはず」と話す。没後二百年にあたる二〇〇〇年から、欠かさず法要に参加する人もいる。
 若冲は、高倉錦小路の青物問屋に生まれた。相国寺に寄進し、後に宮中へ献上された「動植綵絵(さいえ)」や相国寺の「釈迦三尊像」など、精密な描写と豊かな色彩による名画を残した。だが、天明の大火(一七八八年)によって家財のすべてを失う。縁のある寺を転々とし、最後に、妹とともに、石峰寺に落ち着いた。庫裏のそばと門前と、住居は二カ所あったと伝わる。絵一枚を米一斗と換えながら暮らす困窮ぶりだった。墓には「斗米庵若沖居士」と刻まれている。
 「羅漢さん」といえば、ユーモラスな表情の石仏群を思い浮かべる。ところが、若冲の五百羅漢は、表情豊かなさまは変わらないものの、釈迦の一代記を描く壮大な構図。寺の裏山一帯に、かつては千体以上あったという。
 現在残るのは四百体余り。「釈迦誕生」「来迎諸尊」「出山」「説法」「涅槃」「賽(さい)の河原」などの場面が現れる。中には、牛や動物のような形の石もある。最後に全体を見通すようにぽつんと立つ一体の羅漢。それは、若冲自身の姿という説もある。
 羅漢の中には、風化し自然石のように見えるものもある。いずれ土に帰ってゆくことさえ、若冲は見越していたのだろうか。
【メモ】石峰寺へは、京阪深草駅から東へ350メートル、JR稲荷駅から南へ400メートル。拝観料は大人300円、小中学生200円。若冲忌には午前中に法要を営むほか、若冲の絵画を一般公開する。同寺TEL075(641)0792。

【2007年6月1日掲載】

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