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(101)おつう伝説(京都市左京区)

川に身投げ大蛇に
大蛇の頭を埋めたとされ、今は竜王大明神の石碑が安置される「乙が森」(京都市左京区大原草生町)
 盆地の中央を高野川が南北に流れ、川に沿うように若狭街道(鯖(さば)街道、国道367号)が走る大原に、悲しい物語が伝わる。
 昔、おつうという娘がいた。若狭の殿様に見初められ、女中として若狭で暮らすが、病に伏すと殿様の熱も冷め、里に帰された。ある日、殿様が再び大原を通りかかる。病身のおつうは追いかけることもできず、高野川に身を投げた。川を下るおつうは大蛇となり、殿様の行列に迫るが、家来にまっぷたつに切り殺されてしまう。村人たちは大蛇の頭を「乙(おつ)が森」に、尾は「花尻の森」に埋め、供養した。
 「おつう伝説」は大原で広く知られている昔話だ。蛇になった清姫が僧安珍を焼き殺す「道成寺」を思わせる物語だが、内容には諸説ある。殿様を嫌ったおつうが自らの意思で里に帰り、怒った殿様がおつうを切り殺したとか、若狭ではなく朽木の殿様だといった話もある。大原草生町の「乙が森」には、竜王大明神の石碑が立っている。
 文献としては、一七〇二年の「山州名跡志」に、夫を恨んだ女が水底に身を沈め、大蛇となって男を襲う「大原物語」として紹介されている。しかし、ここにはおつうの名はなく、ただ「京ナル女」と書かれているだけだ。また、一九一六(大正五)年に建てられた竜王大明神の石碑の趣意書には、森の沿革や来歴が分からないことが遺憾だ、とある。
 おつうとは誰なのか。地元では、江戸後期から明治時代にかけて、大原上野町に住んでいた実在の人物だといわれている。数年前までは本人の子孫を知る人がいたという。現在、大原物語はおつうの話として語られている。なぜ結びついたのか分からないが、大原古文書研究会の上田寿一さん(五九)は「おつうは、不幸な恋をした女性だったのではないか」とみている。
 高野川は大雨になると水があふれ里人を悩ませたといい、上田さんは「大蛇の物語は荒れ狂う高野川から生まれたのだろう」と話す。大原の土壌がはぐくんだ昔話が里人と結び付き、現代に伝わっている。
【メモ】「乙が森」は京都バスのバス停「大原」から徒歩5分。毎年3月10日には、約7メートルのしめ縄を「竜王大明神」の石碑前に飾る祭礼「蛇祭」がある。「花尻の森」は、八瀬との境にある花尻橋のたもとにあり、森の中には江文神社御旅所がある。

【2007年6月5日掲載】

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