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(102)還来神社(大津市)

出征者の無事祈る
戦時中、出征した兵士の無事を祈り、全国から多くの人が訪れた(大津市・還来神社)
 大津市北西部の伊香立地区、山に囲まれた小さな集落に還来(もどろき)神社(同市伊香立途中町)は、ひっそりとたたずんでいる。そんな神社も、戦時中には、出征する兵士の無事の帰還を願い、全国から多くの参拝者が神社を目指し、人の流れが途切れなかったという。
 市が発行した「大津の伝説」によると、還来神社は、桓武天皇の皇妃で淳和天皇の生母、藤原旅子が三十三歳の若さで病気で亡くなった際、「故郷、比良山の南麓のなぎの木の根元に葬ってほしい」と遺言を残し、死後再び生誕の地に戻ったことから神として祭られたのが由来だ。
 約四百年後の一一五九年、平治の乱に敗れた源頼朝が敗走中に同神社に立ち寄り、源氏再興を祈願した。後に平氏との戦いに勝利し、無事京都に戻ったことから、戦乱の度に多く参拝者が訪れるようになった。
 太平洋戦争時には、江若鉄道(現在のJR湖西線)和邇駅から、バスなどの交通機関がなかったため、神社までの約六キロの道は、お参りをする人が、まるでアリのように続いていたという。
 同神社の宮司も兼務する稲岡宏雄琴神社宮司(七〇)=雄琴二丁目=が語る「当時は、神主が三人おり、交代で祈願をしていたと聞く」という話が、参拝者の多さを物語っている。
 「『天皇陛下万歳』という雰囲気の中で、おおっぴらに帰ってきてほしいといえない。そんな中で、家族が息子が無事に帰ってこられるようにと最後にこの神社をすがったのだろう」(稲岡宮司)。総代を務める宮垣慶二さん(七三)=伊香立途中町=は長兄がフィリピンに出征する際、見送った。「二度と戻れないと決意していたようにみえた。そんな兄の背中をみて、幼いながらに無事に帰ってほしいと思った」と振り返る。
 現在は、海外に旅行や出張に赴く際、県内や近隣府県から年間百件ほどの祈願参拝があるという。
 平和な時代が訪れるとともに参拝者の目的もすっかり変わり、以前のように大勢の参拝者が訪れることもなくなった。ただ、大切な人の安全や無事を願う思いは、いつの時代も変わることはないだろう。
【メモ】還来神社は、滋賀県大津市伊香立途中町518。JR湖西線堅田駅から江若バスに乗り、神社前で下車。戦争で生還した兵士やその家族が、現在も感謝の思いを込めて神社を訪れている。

【2007年6月6日掲載】

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