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(105)浦島伝説の「しわ榎」(京丹後市網野町)

古木 ロマン伝える
台風23号禍などで枝が折れたが、地元住民らが保全活動に励む。「2世」の成長も楽しみ(京丹後市網野町網野)
 「昔々浦島は助けた亀に連れられて…」。誰もが口にし耳にしたことのある「浦島太郎」。海岸線を中心に全国各地に種々の浦島伝説が残る。なかでも丹後は「日本書紀」や「丹後国風土記逸文」などに登場、発祥の地として名高い。
 京都府伊根町とともに京丹後市網野町にも、ゆかりのスポットが点在する。説話の終着点とされるのが波打った表皮が特徴の古木「しわ榎(えのき)」だ。「網野の浦島伝説」(網野町郷土文化保存会編)などによると、次のような話が地元に伝わる。
 昔、網野銚子山古墳の傍らに豪族日下部氏の屋敷があった。善次夫婦に子どもはなかったが、夢の託宣通りに福島に行くと男の赤ちゃんがいた。二人は「嶋子」と名付けて大事に育てた。嶋子は釣りが大得意。釣った魚はびくのまま海中の釣溜(つんだめ)につけていたという。
 ある日、嶋子は、福島で美しい女性に出会う。乙姫様だ。二人は竜宮城へ行き三年間夫婦として過ごすが、郷愁にかられて嶋子は帰郷。人間界では百年以上も経過、辺りは一面荒れ野原だった。
 悲しみのあまり、乙姫様から別れ際に手渡された玉手箱を開くと中からは白い煙が。老爺になった嶋子が顔のしわをちぎって榎に投げつけると、樹皮にしわに似た凸凹(でこぼこ)ができたという…。
 嶋子は、網野神社や島児(しまこ)神社などに祭神として祭られ、伝承とともに地元住民らに親しまれている。網野神社の神職西川康一さんは「嶋子は大陸の多様な文化を輸入した海の英雄だったのでは」と思いをめぐらす。
 見事な枝ぶりのしわ榎だが、二〇〇四年秋に相次ぐ台風で主枝が折れる被害を受けた。地域の財産を守ろうと、網野町郷土文化保存会が中心となり保全活動に尽力。後継樹も育てるべく、近くの網野南小の児童たちがしわ榎から採取した種で苗を育成。しわ榎の周辺をはじめ、縁の深い場所に植え付けた。同保存会の森四郎会長は「しわ榎にはロマンが詰まっている。後継樹を育てることで、今後も物語が語り継がれてほしい」と語る。
 植樹した児童たちが老境に達するころ、二世の樹にも「しわ」が現れるのか−。浦島伝説に興味をそそられるエピソードがまた一つ加わった。
【メモ】しわ榎は推定樹齢約250年。主枝が折れて樹高は約17メートルから8メートルほどになった。近くに日本海側最大の前方後円墳・網野銚子山古墳がそびえる。島児神社の横には、亀にまたがった浦島像もある。しわ榎へのアクセスは、KTR(北近畿タンゴ鉄道)網野駅から車で約3分。

【2007年6月12日掲載】

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