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(106)一条通の百鬼夜行(京都市上京区)

時代超える「妖怪街」
 一条通。京都御苑から西大路通まで約二・五キロにわたり、幅六メートルほどの市道がまっすぐ伸びる。東から歩けば、学校や官公庁、時折、機音の聞こえる京町家の家並み、商店街を通る。人々の暮らしがさまざまな形で息づく、落ち着いた通りだ。
 だが、平安時代の一条は平安京の北端。官庁街の大内裏に面して、京の街の内と外の境目にあった。怪しげな「百鬼夜行」の行き交った伝説があると聞くと、なにやら歴史の深みが、よりズッシリと感じられる。
 平安末期の「今昔物語」では、大みそかの夜に一条堀川の橋(一条戻橋)を渡っていた侍が、灯を持った鬼の集団に出会い、人から見えない透明人間に変えられてしまう。「宇治拾遺物語」には、一条大路の建物に女性と泊まった男性が夜、馬の顔をした大きな鬼に出くわす話が出てくる。
 さらに、室町時代の「付喪神記」は、捨てられた古道具たちが人間に仕返しするため変身。祭礼で一条大路を東へ行列するうち、関白の一行にやっつけられる筋書きだ。
 こうした文献の研究から、傘や木づち、楽器、鍋などが化けたユーモラスな妖怪の姿で知られる「百鬼夜行絵巻」(真珠庵蔵、京都国立博物館保管)と、付喪神を関連付けた甲南大文学部の田中貴子教授(日本文学)は「かつて繁華だったが寂れてしまった都の北面の一条大路に、後の人々が幻視したイメージだったのでしょう」と話す。室町時代に盛んになった職人の生産と、今なら「もったいないおばけ」といえる捨てられた器物の恨みの関連も指摘する。
 平安京の北西端を守る方位の神をまつる大将軍八神社(上京区)の生嶌暢宮司(六三)は「大江山や愛宕山…。都の北西は鬼の入り口だった。昔の人は特に気になっていたんでしょうなあ」と話す。
 こうした伝承を今風にアレンジして、神社近くの大将軍商店街振興組合(二十六店舗)は一昨年から、夜に怪談を聞く催しをしたり、妖怪の仮装行列で地域を盛り上げる。妖怪のオブジェを店頭に飾る店も多い。まちおこしに携わる衣料店主の松本幸秀さん(四八)は「捨てたら化けるという昔の人のエコロジーの発想は、今に通じますね」と、時代を超えて人の心を引き付ける妖怪の魅力を語る。
【メモ】陰陽師ゆかりの晴明神社も一条堀川に近い。一条通の百鬼夜行に詳しい著作は田中貴子甲南大教授の「百鬼夜行の見える都市」(ちくま学芸文庫)。妖怪ストリートと称して、まちおこしする大将軍商店街振興組合TEL075(461)2520には資料館(年末年始を除き無休)もある。

【2007年6月13日掲載】