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(112)鞠の精(京都市上京区)

名手・成通を守護
境内に建立された蹴鞠の碑。精大明神にお参りした後、石で作られた鞠を回すと球運を授かるという(京都市上京区・白峯神宮)
 鞠(まり)をけりながら清水の舞台の欄干上を往復したり、座らせた人たちの肩の上で鞠をけり続けても「タカが手に止まったほどに思われた」と言わしめた達人。鞠をけり上げれば、上空の雲まで達したという。平安時代後期の公卿藤原成通(なりみち)は蹴鞠(けまり)の名手とされ、驚異的な逸話が「古今著聞集」などに残されている。
 その努力の仕方も常人の域を超えていた。病気になっても寝ながら鞠をけり、土砂降りの雨でも大極殿で練習するなど、二千日の間、一日も欠かすことなく鞠をけり続け、蹴鞠場通いは七千日を超えたという。
 そんな成通の前に現れたのが、鞠の精だった。成通は蹴鞠の上達のために千日間練習を行うとの誓いを立てた。誓いをやり通した夜、祭壇に置いた鞠が転げ落ちた。成通が目を向けると、顔は人間だが、手足と体はサルのような姿をした三人の鞠の精が立っていた。
 鞠の精は成通の偉業をたたえるとともに、「蹴鞠をする時には、私たちを呼んでください。すぐに参上します。私たちはあなたを守護し、蹴鞠の道に上達することを約束しましょう」と告げ、姿を消したという。
 鞠の精が自分たちの名前を紹介する際、それぞれの額に金色で書かれた「春楊花」「夏安林」「秋園」の文字を示した。その呼び名から、鞠をける時の掛け声が「アリ」「オウ」などとなったともいわれる。
 鞠の精は、上京区にある白峯神宮で「精大明神」として祭られている。白峯神宮は、鞠と和歌の宗家である飛鳥井家が明治維新で東京に移った際、その邸宅跡に建てられた。そのため、飛鳥井家が代々、祭ってきた精大明神が境内に末社として残った。
 四月十四日の春季大祭と七月七日の精大明神祭では、境内で蹴鞠が奉納される。二〇〇一年には、蹴鞠の碑が建立され、球技の上達を願う中高生らが後を絶たない。
 権禰宜(ごんねぎ)の北村滋如さん(五五)は「精大明神は、時代とともに、技能や芸能の神としても祭られるようになった。サッカーワールドカップのフランス大会で日本が初出場した際に新聞やテレビで紹介されたのをきっかけにして、京都以外からも多くの人が参拝に訪れます」と話している。
【メモ】白峯神宮は京都市上京区今出川通堀川東入ル。市バス「堀川今出川」下車すぐ。TEL075(441)3810。保元の乱(1156年)で讃岐国(香川県)に配流された崇徳天皇(1119―1164年)と、藤原仲麻呂の乱で廃位され淡路島に流された淳仁天皇(733―765年)を祭神としている。

【2007年6月22日掲載】

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